現代語訳 `鼠頭午(牛)首 `というのは `敵との戦の中で、互いに細かい所を探り合って縺れる情態になるとき、兵法の道を常に `鼠頭午(牛)首、鼠頭午(牛)首(鼠の頭から牛の首を思い浮かべよ) `と思って、ごく小さな心のうちに俄に大きな心にして、大小を変えることである `兵法の一つの心立てである `平生 `人の心も鼠頭午(牛)首 `と思うべきところが武士の肝心である `兵法の大分・小分にあってもこの心を離れてはならない `このことはよくよく吟味あるべきものである