四四禿童
原文
- `かくて清盛仁安三年十一月十一日歳五十一にて病に冒され存命の為に忽ちに出家入道す
- `法名は浄海とこそ付き給へ
- `その故にや宿病立ち所に癒えて天命を全うす
- `出家の後も英雄はなほ尽きずとぞ見えし
- `凡人の思ひつき奉る事は降る雨の国土を潤すが如く世の遍く仰げる事も吹く風の草木を靡かすに同じ
- `六波羅殿の一家の君達
- `と云ひてしかば華族も英雄も誰肩を並べ面を向かふる君なし
- `入道相国の小舅平大納言時忠卿宣ひけるは
- `この一門にあらざらん者は皆人非人たるべし
- `とぞ宣ひける
- `さればいかなる人もその縁に結ぼれんとぞしける
- `烏帽子の矯めやうより始めて衣文の指貫の輪に至るまで何事も
- `六波羅様
- `とだに云ひてしかば一天四海の人皆これを学ぶ
- `いかなる賢王聖主の御政摂政関白の御成敗をも世に余されたる徒者などの人の聞かぬ所に寄り合ひて何となう謗り傾け申す事は常の習ひなれどもこの禅門世盛りのほどは聊か忽に申す者なし
- `その故は入道相国の謀に十四五六の童を三百人掬つて髪を禿に切り廻し赤き直垂を着せて召し使はれけるが京中に満ち満ちて往反しけり
- `自づから平家の御事を悪し様に申す者あれば一人聞き出ださぬほどこそありけれ余党に触れ催しその家に乱入し資材雑具を追捕しその奴を搦め捕りて六波羅へ率て参る
- `凡そ目に見心に知るといへども詞に顕して申す者なし
- `六波羅殿の禿
- `と云ひてしかば道を過ぐる馬車も皆避ぎてぞ通りける
- `禁門を出入りすといへども姓名を尋ねらるるに及ばず京師の長吏これが為に目を側む
- `と見えたり