八二四新大納言被流
原文
- `さるほどに六月二日新大納言成親卿をば公卿の座に出だし奉りて御物参らせたりけれども胸堰塞がつて御箸をだにも立てられず
- `預りの武士難波次郎経遠御車を寄せて
- `疾う疾う
- `と申しければ大納言心ならずぞ乗り給ふ
- `あはれいかにもして今一度小松殿に見え奉らばや
- `と思はれけれどもそれも叶はず
- `見廻せば軍兵共前後左右にうち囲んだり
- `我が方の者は一人もなし
- `たとひ重科を蒙つて遠国へ行く者も人一人身にぞ添へざる者やある
- `と車の内にて掻き口説かれければ守護の武士共も皆鎧の袖をぞ濡らしける
- `西の朱雀を南へ行けば大内山も今は余所にぞ見給ひける
- `年比見慣れ奉りし雑色牛飼に至るまで涙を流し袖を濡らさぬはなかりけり
- `況して都に残り留まり給ふ北方幼き人々の心の内推し量られて哀れなり
- `鳥羽殿を過ぎ給ふにも
- `この御所へ御幸成りしには一度も御供には外れざりしものを
- `とて我が山庄洲浜殿とてありしをも余所に見てこそ通られけれ
- `鳥羽の南の門出でて
- `舟遅し
- `とぞ急がせける
- `こは何方へとて行くらん
- `同じう失はるべくは都近き此辺にてもあれかし
- `と宣ひけるぞこそせめての事なれ
- `近う添ひ奉りたる武士を
- `誰ぞ
- `と問ひ給へば
- `難波次郎経遠
- `と名乗り申す
- `もし此辺に我が方様の者やある
- `尋ねて参らせよ
- `舟に乗らぬ先に云ひ置くべき事あり
- `と宣へば経遠その辺を走り廻つて尋ねけれども我こそ大納言殿の御方と申す者一人もなし
- `その時大納言涙をはらはらと流いて
- `さりとも我が世にありし時は従ひ付きたりし者共一二千人もありつらんに今は余所にてだにもこの有様を見送る者のなかりける悲しさよ
- `とて泣かれければ猛き武士共も皆鎧の袖をぞ濡らしける
- `ただ身に添ふ物とては尽きせぬ涙ばかりなり
- `熊野詣天王寺詣などには二瓦の三棟に造りたる舟に乗り次の舟二三十艘漕ぎ続けてこそありしに今は怪しかる舁き据ゑ屋形舟に大幕引かせ見も慣れぬ兵共に具せられて今日を限りに都を出で波路遥かに赴れけん心の内推し量られて哀れなり
- `新大納言は死罪に行はるべかりし人の流罪に宥められける事は小松殿のやうやうに申されけるによつてなり
- `その日は摂津国大物浦にぞ着き給ふ
- `明くる三日大物浦へは京より御使ありとて犇きけり
- `新大納言
- `これにて失へとにや
- `と聞き給へばさはなくしてはるばると備前の児島へ流すべしとの御使なり
- `また小松殿より御文あり
- `あはれいかにもして都近き片山里にも置き奉らばやとさしも申しつる事の叶はぬ事こそ世にあるかひも候はね
- `さりながら御命ばかりをば乞ひ受け奉りて候ふぞ
- `御心安う思し召され候へ
- `とて難波が許へも
- `よくよく宮仕へ奉れ
- `相構へて御心には違ふな
- `など宣ひ遣はし旅の粧細々と沙汰し送られたり
- `新大納言はさしも忝う思し召されける君にも離れ参らせ束の間も去り難う思はれける北方幼き人々にも別れはてて
- `こは何方へとて行くらん
- `二度故郷に帰つて妻子を相見ん事も有難し
- `一年山門の訴訟によつて既に流されしをも君惜しませ給ひて西七条より召し返されぬ
- `されば君の御戒にもあらず
- `こはいかにしつる事共ぞや
- `と天に仰ぎ地に伏して泣き悲めどもかひぞなき
- `明ければ舟推し出でて下り給ふ
- `道すがらもただ涙にのみ咽んで長らふべしとは覚えねどもさすが露の命は消えやらず
- `跡の白波隔つれば都は次第に遠ざかり日数漸う重なれば遠国は既に近付きぬ
- `備前の児島に漕ぎ寄せて民の家のあさましげなる柴の庵に入れ奉る
- `島の習ひ後は山前は海磯の松風波の音いづれも哀れは尽きせず