一二二八山門滅亡
原文
- `さるほどに法皇は三井寺の公顕僧正を御師範として真言の秘法を伝受せさせおはします
- `大日経金剛頂経蘇悉地経この三部の秘法を受けさせ給ひて九月四日の日三井寺にて御潅頂あるべき由聞ゆ
- `山門の大衆憤り申しけるは
- `御潅頂御受戒当山にして遂げさせまします事先規なり
- `就中山王の化導は受戒潅頂の為なり
- `然るを今三井寺にて遂げさせましまさば寺を一向焼き払ふべし
- `とぞ申しける
- `法皇これを無益なりとて御加行ばかり御結願ありて御灌頂は思し召し留らせ給ひけり
- `さりながらもなほ本意なればとて公顕僧正を召し具して天王寺へ御幸成つて五智光院を建て亀井の水を五瓶の智水として仏法最初の霊地にてぞ伝法潅頂をば遂げさせましましける
- `山門の騒動を鎮めんが為に三井寺にて御潅頂はなかりしかども山門には堂衆学生不快の事出で来て合戦度々に及ぶ
- `毎度に学侶打ち落さる
- `山門の滅亡朝家の御大事とぞ見えし
- `堂衆といふは学生の所衆なりける童部の法師になりたるやもしは中間法師原にてもやありけん一年金剛寿院の座主覚尋権僧正治山の時より三塔に結番して夏衆と号して仏に花参らせし者共なり
- `然るを近年行人とて大衆をも事ともせずかく度々の軍にうち勝ちぬ
- `堂衆等師主の命を背いて合戦を既に企つ
- `大衆速やかに追討すべき
- `由公家に奏聞し武家に触れ訴ふ
- `これによつて太政入道院宣を承つて紀伊国の住人湯浅権守宗重以下畿内の兵二千余人大衆に差し添へて堂衆を攻めらる
- `堂衆日比は東陽坊にありけるがこれを聞いて近江国三箇庄に下向してまた数多の勢を卒して登山して早尾坂に城郭を構へて楯籠る
- `九月二十日辰の一点に大衆三千人官軍二千余人都合その勢五千余人早尾坂に押し寄せて鬨をどつとぞ作りける
- `城の内より石弓外し掛けたりければ大衆官軍数を尽くして打ち殺さる
- `大衆は官軍を先立てんとす官軍はまた大衆を先立てんと争ふほどに心々になつてはかばかしうも戦はず
- `堂衆に語らふ悪党といふは諸国の窃盗強盗山賊海賊等なり
- `欲心熾盛にして死生不知の奴原なりければ我一人と思ひ切つて戦ふほどに今度はさりともとこそ思ひつるに学生また軍に負けにけり
- `その後は山門いよいよ荒れ果てて十二禅衆の外は止住の僧侶稀なり
- `谷々の講演摩滅ぼして堂々の行法も退転す
- `修学の窓を閉ぢ座禅の床を空しうせり
- `四教五時の春の花も匂はず三諦即是の秋の月も曇れり
- `三百余歳の法燈を掲ぐる人もなく六時不断の香の煙も絶やしにけん
- `堂舎高く聳えて三重の構へを青漢の内に差し挟み棟梁遥かに秀でて四面の椽を白霧の間に懸けたりき
- `されども今は供仏を峰の嵐に任せ金容を紅瀝に潤し夜の月燈を掲げて檐の隙より漏り暁の露珠を垂れて蓮座の粧を添ふとかや
- `それ末代の俗に至つては三国の仏法も次第に衰微せり
- `遠く天竺に仏跡を訪ふに昔仏の法を説き給ひし竹林精舎給孤独園もこの比は狐狼野干の栖となつて礎のみや残るらん
- `白鷺池には水絶えて草のみ深く茂れり
- `退梵下乗の卒都婆も苔のみ生して傾きぬ
- `震旦にも天台山五台山白馬寺玉泉寺も今は住侶なき様に荒れ果てて大小乗の法門も箱の底にや朽ちにけん
- `我が朝にも南都七大寺荒れ果てて八宗九宗も跡絶え愛宕高雄も昔は堂塔軒を並べたりしかども一夜の内に荒れにしかば天狗の栖となり果てぬ
- `さればにやさしも止事なかりつる天台の仏法も治承の今に及んで滅び果てぬるにや
- `心ある人嘆き悲まぬはなかりけり
- `何者の為業にやありけん離山しける僧の坊の柱に一首の歌をぞ書き付けたる
- `いのりこし我がたつ杣のひきかへて人なき嶺とあれやはてなん
- `これは昔伝教大師当山草創の初め阿耨多羅三藐三菩提の仏達に祈り申させ給ひし事を今思ひ出でて詠みたりけるにや
- `いと優しうぞ聞えし
- `八日は薬師の日なれども
- `南無
- `と唱ふる声もせず
- `卯月は垂迹の月なれども幣帛を捧ぐる人もなく緋の玉垣神さびて注連縄のみや残るらん