三三五御産巻
原文
- `さるほどに二人の人々は鬼界島を出でて肥前国鹿瀬庄にぞ着き給ふ
- `宰相京より人を下して
- `年の内は波風も激しう道の間も覚束なう候へば春になりて上られ候へ
- `とありしかば少将鹿瀬庄にて年を暮らす
- `さるほどに同じき十一月十二日の寅の刻より中宮御産の気ましますとて京中六波羅犇き合へり
- `御産所は六波羅池殿にてありければ法皇も御幸成る
- `関白殿を始め奉りて太政大臣以下の卿相雲客すべて世に人と数へられ官加階に望みをかけ所帯所職を帯するほどの人の一人も洩るるはなかりけり
- `先例も女御后御産の時に臨んで大赦ありき
- `大治二年九月十一日待賢門院御産の時大赦行はるる事ありけり
- `今度もその例とて非常の大赦行はれて重科の輩多く許されける中にこの俊寛僧都一人赦免なかりける事こそうたてけれ
- `御産平安皇子御誕生ましまさば八幡平野大原野などへ行啓あるべき由御立願あり
- `仙源法印承つてこれを敬白す
- `神社は太神宮を始め奉りて二十余箇所仏寺は東大寺興福寺以下十六箇所に御誦経あり
- `御誦経の御使は宮の侍の中にある官の輩これを勤む
- `平文の狩衣に帯剣したる者共が色々の御誦経物御剣御衣を持ち続いて東の対より南庭を渡つて西の中門に出づ
- `めでたかりし見物なり
- `小松大臣は例の善悪につきて騒ぎ給はぬ人にておはしければ遥かにほど経て後嫡子権亮少将以下君達の車共遣り続けさせ色々の御衣四十領銀剣七つ広蓋に置かせ御馬十二疋引かせて参り給ふ
- `これは寛弘に上東門院御産の時御堂殿の御馬を参らせられしその例とぞ聞えし
- `大臣は中宮の御兄人にておはしける上取り分き父子の御契りなれば御馬参らせ給ふも理なり
- `また五条大納言国綱卿も御馬二疋進らせらる
- `志の至りか徳の余りか
- `とぞ人申しける
- `なほ伊勢より始めて安芸の厳島に至るまで七十余箇所へ神馬を立てらる
- `内裏にも寮の御馬に四手付けて数十疋引つ立てたり
- `仁和寺御室守覚法親王は孔雀経の法天台座主覚快法親王は七仏薬師の法寺の長吏円慶法親王は金剛童子の法その外五大虚空蔵六観音一字金輪五壇の法六字加輪八字文殊普賢延命に至るまで残る所なう修せられけり
- `護摩の煙御所中に満ち鈴の音雲を響かす
- `修法の声身の毛よだつていかなる御物の気なりとも面を向かふべしとも見えざりけり
- `なほ仏前の法印に仰せて御身等身の七仏薬師並びに五大尊の像を造り始めらる
- `かかりしかども中宮は隙なく頻らせ給ふばかりにて御産も頓になりやらず
- `入道相国二位殿胸に手を覆ひて
- `こはいかにせんいかにせん
- `とぞあきれ給ふ
- `人の物申しけれどもただ
- `ともかうもよきやうに
- `とばかりぞ宣ひける
- `あはれ浄海軍の陣ならばさりともこれほどまでは臆せじものを
- `とぞ後には宣ひける
- `御験者は房覚性運両僧正春尭法印豪禅実専両僧都各僧伽の句共上げ本寺本山の三宝年来所持の本尊達責め伏せ責め伏せ揉まれけり
- `まことにさこそは
- `と覚えて尊かりける中に折節法皇は新熊野へ御幸成るべきにて御精進の序でなりけるが錦帳近く御座ありて千手経を打ち上げ遊ばされけるにこそ今一際事変はつてさしも踊り狂ひける御神子共が縛も暫くうち静めけり
- `法皇仰せなりけるは
- `たとひいかなる御物の気なりともこの老法師がかくて候はんにはいかでか近づき奉るべき
- `就中今現るるところの怨霊は皆我が朝恩を以て人となりたるし者ぞかし
- `たとひ報謝の心をこそ存ぜずともいかでか豈障碍をなすべきや
- `速やかに罷り退き候へ
- `とて
- `女人生産し難からん時に臨んで邪魔遮障し苦しみ忍び難からんにも心を致して大悲呪を称誦せば鬼神退散して安楽に生ぜん
- `と遊ばいて皆水晶の御数珠を押し揉ませ給へば御産平安のみならず皇子にてこそましましけれ
- `本三位中将重衡卿その時は未だ中宮亮にておはしけるが御簾の内よりつと出でて
- `御産平安皇子御誕生候ふぞ
- `と高らかに申されたりければ法皇を始め参らせて関白松殿太政大臣以下卿相雲客各の助修陰陽頭数輩の御験者すべて堂上堂下一同にあつと響めき合へる声は門外までも響みて暫しは静まりもやらざりけり
- `入道相国嬉しさのあまりに声を揚げてぞ泣かれける
- `悦び泣きとはこれを云ふべきにや
- `小松大臣は急ぎ中宮の御方に参らせ給ひて金銭九十九文皇子の御枕に置いて
- `天を以ては父とし地を以ては母と定め給ふべし
- `御命は方士東方朔が齢を保ち御心には天照大神入り替はらせ給へ
- `とて桑の弓蓬の矢を以て天地四方を射させらる