九七五同勧進帳
原文
- `その後文覚は高雄といふ山の奥に行ひ澄ましてぞ居たりける
- `かの高雄に神護寺といふ山寺あり
- `これは昔称徳天皇の御時和気清麿が建てたりし伽藍なり
- `久しく修造なかりしかば春は霞に楯籠めて秋は霧に交はり扉は風に倒れて落葉の下に朽ち甍は雨露に侵されて仏壇更に顕なり
- `住持の僧もなければ稀に差し入る物とてはただ月日の光ばかりなり
- `文覚いかにもしてこの寺を修造せんと思ふ大願発し勧進帳を捧げて十方檀那を勧め歩くほどにある時院御所法住寺殿へぞ参じたる
- `御奉加あるべき由を奏聞す
- `御遊の折節にて聞し召しも入れざりければ文覚はもとより不敵第一の荒聖ではあり御前の事なきやうをば知らずして
- `ただ人の申し入れぬぞ
- `と心得て是非なく御坪の内へ破り入り大音声を揚げて
- `大慈大悲の君にてましますこれほどの事などか聞し召し入れざるべき
- `とて勧進帳を引き広げ高らかにこそ読うだりけれ
- ``沙弥文覚敬白
- ``殊請㆘蒙㆓貴賤道俗助成㆒高雄山霊地建立㆓一院㆒勤行㆗二世安楽大利㆖勧進状
- ``夫以真如広大
- ``雖㆑立㆓生仏仮名㆒法性随㆓妄雲厚覆㆒靉靆㆓十二因縁之峰㆒以来本有心蓮月光幽未㆑顕㆓三徳四曼之大虚㆒
- ``悲哉仏日早没生死流転巷冥冥
- ``只耽㆑色耽㆑酒誰謝㆓狂象重淵迷㆒
- ``徒謗㆑人謗㆑法是豈免㆓閻羅獄卒責㆒
- ``爰文覚適擺㆓俗塵㆒雖㆑飾㆓法衣㆒悪行猶逞㆑心日夜作善苗又逆㆑耳朝暮廃
- ``痛哉再帰㆓三途火坑㆒長廻㆓四生苦輪㆒
- ``是故無二顕章千万軸軸軸明㆓仏種因㆒随縁至誠法無㆘一不㆖㆑到㆓菩提之彼岸㆒
- ``故文覚無常観門涙㆑落勧㆓上下真俗㆒上品蓮台結㆑縁建㆓等妙覚王霊場㆒也
- ``夫高雄山堆表㆓鷲峰山梢㆒谷閑敷㆓商山洞苔㆒
- ``岩泉咽引㆑布嶺猿叫遊㆑枝
- ``人里遠無㆓囂塵
- ``咫尺好有㆓信心㆒
- ``地形勝尤可㆑崇㆓仏天㆒
- ``奉加小誰不㆓助成㆒
- ``風聞
- ``聚沙為仏塔功徳忽感㆓仏因㆒
- ``況於㆓一紙半銭宝財㆒
- ``願建立成就金欠鳳歴御願円満乃至都鄙遠近人民親疎歌㆓尭舜無為之化㆒披㆓椿葉再会之咲㆒
- ``殊又聖霊幽儀前後大小速至㆓一仏真門之台㆒必翫㆓三身万徳之月㆒
- ``仍勧進修行趣蓋以如㆑斯
- ``治承三年三月日
- ``文覚
- `とこそ読み上げたれ
書下し文
一
- ``沙弥文覚敬つて白す
- ``殊には貴賤道俗助成を蒙つて高雄山の霊地に一院を建立し二世安楽の大利を勤行せんと乞ふ勧進の状
- ``それ惟みれば真如広大なり
- ``生仏の仮名を立つといへども法性随妄の雲を厚く覆つて十二因縁の峰に棚引いしより以来本有心蓮の月の光幽かにして未だ三徳四曼の大虚に顕れず
- ``悲しきかな仏日早く没して生死流転の巷冥々たり
- ``ただ色に耽り酒に耽る誰か狂象跳猿の迷ひを謝せん
- ``徒らに人を謗り法を謗るこれ豈閻羅獄卒の責めを免れんや
- ``ここに文覚たまたま俗塵をうちはらつて法衣を飾るといへども悪行なほ心に逞しうして日夜作り善苗また耳に逆つて朝暮に廃る
- ``痛ましきかな再び三途の火坑に帰つて長く四生の苦輪を廻らんことを
- ``この故に無二顕章千万軸軸々に仏種の因を明かし随縁至誠の法一つとして菩提の彼岸に到らずといふことなし
- ``かるが故に文覚無常の観門に涙を落し上下の真俗を勧めて上品蓮台に縁を結び等妙覚王の霊場を建てんとなり
- ``それ高雄は山堆うして鷲峰山の梢を表し谷閑かにして商山洞の苔を敷けり
- ``岩泉咽んで布を引き嶺猿叫んで枝に遊ぶ
- ``人里遠うして囂塵なし
- ``咫尺ことなうして信心のみあり
- ``地形勝れたり尤も仏天を崇むべし
- ``奉加すこしきなり誰か助成せざらん
- ``ほのかに聞く
- ``沙を聚めて仏塔と為す功徳忽ちに仏因を感ず
- ``況んや一紙半銭の宝財に於いてをや
- ``願はくは建立成就して金欠鳳歴御願円満乃至都鄙遠近人民親疎尭舜無為の化を歌ひ椿葉再会の咲みをひらかん
- ``殊にはまた聖霊幽儀前後大小速やかに一仏真門のうてなに至り必ず三身万徳の月を翫ばん
- ``よつて勧進修行の趣蓋し以てかくの如し
- ``治承三年三月日
- ``文覚