六八七飛脚到来
原文
- `木曾といふ所は信濃にとつても南の端美濃境なれば都も無下にほど近し
- `平家の人々
- `東国の背くだにあるに北国さへこはいかに
- `とぞ大きに恐れ騒がれける
- `入道相国宣ひけるは
- `思ふにその者信濃一国の者共こそ従ひ付くといふとも越後国には余五将軍の末葉城太郎助長同四郎助茂これらは兄弟共に多勢の者なり
- `仰せ下したらんに易う討ちて参らせなんず
- `と宣へば
- `げにも
- `と申す人もあり
- `いやいや只今御大事に及びなんず
- `と囁く人々もありけるとかや
- `二月一日除目行はれて越後国の住人城太郎助長越後守に任ず
- `これは木曾追討せらるべき謀とぞ聞えし
- `同じき七日大臣公卿家々にして尊勝陀羅尼並びに不動明王描き供養せらる
- `これは兵乱慎みの為とぞ聞えし
- `同じき九日河内国石川郡に住まひしける武蔵権守入道義基子息石川判官代義兼これも平家を背いて頼朝に心を通はして東国へ落ち下るべしなど聞えしかば平家やがて討手を遣はす
- `大将軍には源大夫判官季貞摂津判官盛澄都合その勢三千余騎で河内国へ発向す
- `城の内にも義基法師を始めとしてその勢百騎ばかりには過ぎざりけり
- `卯の刻より矢合せして一日戦ひ暮らし夜に入りければ義基討死す
- `子息石川判官代義兼は痛手負うて生捕にこそせられけれ
- `明くる十一日義基法師が首都へ入つて大路を渡さる
- `諒闇に賊首を渡さるる事堀川院崩御の時前対馬守源義親が首を渡されしその例とぞ聞えし
- `同じき十二日鎮西より飛脚到来宇佐大宮司公通が申しけるは
- `九州の者共緒方三郎を始めとして臼杵戸次松浦党に至るまで一向平家を背いて源氏に同心
- `の由申したりければ
- `東国北国の背くだにあるに西国さへこはいかに
- `とて手を打つてあざみ合はれけり
- `同じき十六日伊予国より飛脚到来去年の冬比より四国の者共河野四郎通清を始めとして一向平家を背いて源氏に同心の間備後国の住人額入道西寂は平家に志深かりければ伊予国へ押し渡り道前道後の境なる高直城に押し寄せて四郎通清を討ち候ひぬ
- `子息河野四郎通信は母方の伯父安芸国の住人奴田次郎が許へ越えて在り合はず
- `父を討たせて安からずや思ひけんいかにもして西寂を討ち取らんとぞ窺ひける
- `額入道西寂は四国の狼藉を鎮めて今年正月十五日備後の鞆へ押し渡り遊君遊女共召し集めて遊び戯れ酒盛りける所へ河野四郎思ひ切りたる者共百余人相語らつてばつと押し寄す
- `西寂が方にも三百余人ありけれども俄事なれば思ひ設けず周章てふためきけるが立て合ふ者をば射伏せ斬り伏せまづ西寂を生捕つて伊予国へ押し渡り父が討たれたる高直城まで提げ持つて行き鋸で首を斬りたりとも聞ゆ
- `また磔にしたりとも聞えけり
- `その後は四国の者共河野四郎に従ひ付く
- `また紀伊国の住人熊野別当湛増は平家重恩の身なりしが忽ちに心変はりして源氏に一つになりにけり
- `東国北国悉く背きぬ
- `南海西海かくの如し
- `夷狄の蜂起耳を驚かし逆乱の先表頻りに奏す
- `四夷忽ちに起れり
- `必ず平家の一門にあらねども心ある人々の嘆き悲しまぬはなかりけり