一三九四横田河原合戦
原文
- `八月七日官庁にして大仁王会行はる
- `これは将門追討の例とぞ聞えし
- `九月一日純友追討の例とて伊勢へ鉄の鎧甲を参らせらる
- `勅使は祭主神祇権大副大中臣定隆とぞ聞えし
- `都を立ちて近江国甲賀の駅より病付いて同じき三日伊勢の離宮にしてつひに死にぬ
- `また調伏の為に五壇の法承つて行はれける降三世の大阿闍梨大行事の彼岸所にして寝死にに死にぬ
- `神明も三宝も御納受なしといふ事著し
- `また大元法承つて行ひける安祥寺の実玄阿闍梨が御巻数を進じたりけるを披見せられければ平氏調伏の由を註進したりけるこそ恐ろしけれ
- `こはいかに
- `と仰せければ
- `朝敵調伏せよと仰せ下さる
- `つらつら当世の体を見候ふに平家専ら朝敵と見えたり
- `よつてかれを調伏す
- `何の咎や候ふべき
- `とぞ申しける
- `この法師奇怪なり
- `死罪か流罪か
- `とありしかども大小事の怱劇にうち紛れて何の沙汰にも及ばず
- `平家滅び源氏の代になつて鎌倉へ下りこの由かくと申しければ鎌倉殿感じ給ひてその勧賞には大僧正に成されけるとぞ聞えし
- `さるほどに同じき十二月二十四日中宮院号蒙らせ給ひて
- `建礼門院
- `とぞ申しける
- `主上未だ幼主の御時母后の院号これ始めとぞ承る
- `さるほどに今年も暮れて養和も二年になりにけり
- `節会以下常の如し
- `二月二十一日太白昴星を犯す
- `天文要録に曰く
- `太白昴星を犯せば四夷起る
- `と云へり
- `また
- `将軍勅令を承つて国の境を出づ
- `とも見えたり
- `三月十日除目行はれて平家の人々大略官加階し給ふ
- `四月十五日前権少僧都顕真日吉社にして如法に法華経一万部転読致さるる事ありけり
- `御結縁の為にとて法皇も御幸成る
- `本三位中将重衡卿その勢三千余騎で日吉社へ参向す
- `何者の申し出だしたりけるやらん
- `一院山門の大衆に仰せて平家を追討せらるべし
- `と聞えしかば軍兵内裏へ参じて四方の陣頭を警固す
- `平氏の一類皆六波羅へ馳せ集まる
- `山門にまた聞えけるは
- `平家山攻めんとて登山す
- `と聞えしかば大衆皆東坂本へ下り下つて
- `こはいかに
- `と僉議す
- `法皇も叡慮を驚かさせおはします
- `公卿殿上人も色を失ひ北面の輩の中にはあまりに周章て騒いで黄水吐く者多かりけり
- `山上洛中の騒動斜めならず
- `さるほどに重衡卿穴太の辺にて法皇受け取り参らせて都へ還御成し奉る
- `まことには一院山門の大衆に仰せて平家追討せらるべしといふ事も平家山攻めんといふ事も跡形なき空事なり
- `ただ天魔のよく荒れたるにこそ
- `とぞ人申しける
- `法皇仰せなりけるは
- `かくのみあらんにはこの後は御物語など申す御事も御心には任すまじき事やらん
- `とぞ仰せける
- `同じき二十日二十二社へ官幣使を立てらる
- `これは飢饉疾疫によつてなり
- `同じき五月二十四日に改元ありて寿永と号す
- `その日除目行はれて越後国の住人城四郎助茂越後守に任ず
- `兄逝去の間不吉なり
- `とて頻りに辞し申しけれども勅令なれば力及ばず
- `これによつて
- `助茂
- `を
- `長茂
- `と改名す
- `さるほどに九月二日越後国の住人城四郎長茂木曾追討の為にとて越後出羽会津四郡の兵共を引率して都合その勢四万余騎信濃国へ発向す
- `同じき九日当国横田河原に陣を取る
- `木曾は依田城に在りけるが三千余騎で城を出でて馳せ向かふ
- `ここに信濃源氏井上九郎光盛が謀に三千余騎を七手に分かち俄に赤旗七流作つて手々に差し上げ彼処の峰此処の洞より寄せければ越後の勢共これを見て
- `あはやこの国にも御方のありけるは力付きぬ
- `とて勇み悦ぶ処に次第に近うなりければ相図を定めて七手が一つになり赤旗共切り捨てさせ予て用意したりける白旗をさつと差し上げて鬨をどつとぞ作りける
- `越後の勢共周章てふためきけるが或いは河に追ひ嵌められ或いは悪所へ追ひ落されて助かる者は少なう討たるる者ぞ多かりける
- `城四郎が旨と頼みきつたる越後の山太郎会津乗丹房といふ一人当千の兵共も其処にて皆討ち取られぬ
- `城四郎我が身手負ひ辛き命生きつつ川に伝うて越後国に引き退く
- `飛脚を以て都へこの由を申したりけれども平家の人々ちつとも騒ぎ給はず
- `九月十六日前右大将宗盛卿大納言に還着して十月三日内大臣に成り給ふ
- `同じき七日悦び申しありしに公卿には花山院中納言を始め奉つて十二人扈従して遣り続けらる
- `蔵人頭親宗以下殿上人十六人前駆す
- `中納言四人三位中将も三人までおはしき
- `源氏既に蜂の如くに起り合ひ只今都へ乱れ入らんとするに風の吹くやらん波の立つやらんも知り給はずかやうに華やかなりし事共中々云ふかひなうぞ見えし
- `さるほどに今年も暮れて寿永二年になりにけり
- `節会以下常の如し
- `正月五日朝覲の行幸ありけり
- `これは鳥羽院六歳にて朝覲の行幸ありしその例とぞ聞えし
- `二月二十一日宗盛公従一位し給ふ
- `やがてその日内大臣をば上表せらる
- `これは兵乱慎みの為とぞ聞えし
- `南都北嶺の大衆熊野金峰山の僧徒伊勢石清水の祭主神官に至るまで一向平家を背いて源氏に心を通はしけり
- `四方に宣旨をなし下し四方へ院宣を遣はせども院宣宣旨も皆平家の下知とのみ心得て従ひ付く者なかりけり