一九五清水冠者
原文
- `寿永二年三月上旬に木曾冠者義仲兵衛佐頼朝不快の事ありと聞えけり
- `兵衛佐頼朝木曾追討の為にとてその勢十万余騎で信濃国へ発向す
- `木曾はその比依田城にありけるがその勢三千余騎で城を出でて信濃と越後の境なる熊坂山に陣を取る
- `兵衛佐は同国の内善光寺にこそ着き給へ
- `木曾乳母子の今井四郎兼平を使者にて兵衛佐の許へ遣はす
- `抑も御辺は東八箇国をうち従へて東海道より攻め上り平家を追い落さんとはし給ふなり
- `義仲も東山北陸両道を従へて北陸道より攻め上り今一日も先に平家を滅ぼさんとする事でこそあるにいかなる子細ありてか御辺と義仲と仲を違うて平家に笑はれんとは思ふべき
- `但し伯叔の十郎蔵人殿こそ御辺を恨み奉る事ありとて義仲が許へおはしつるを義仲さへすげなうもてなし申さん事いかぞや候へばうち連れ申したり
- `義仲に於いては全く意趣意趣思ひ奉らず
- `と宣ひ遣はされたりければ兵衛佐殿
- `今こそさやうに宣へども正しう頼朝討つべき謀反の企てありと告げ知らする者あり
- `但しそれにはよるべからず
- `とて土肥梶原を先として既に討手を向けらるる由聞えしかば木曾真実意趣なき由を顕さんが為に嫡子に清水冠者義重とて生年十一歳に成られけるに海野望月諏訪藤沢などいふ一人当千の兵を相副へて兵衛佐の許へ遣はす
- `兵衛佐
- `この上はまことに意趣なかりけり
- `頼朝未だ成人の子を持たず
- `よしよしさらば子にし申さん
- `とて清水冠者を相具して鎌倉へこそ帰られけれ