四九八火燧合戦
原文
- `さるほどに木曾義仲自らは信濃に在りながら越前国火燧城をぞ構へける
- `かの城郭に籠る勢平泉寺長吏斎明威儀師富樫入道仏誓稲津新介斎藤太林六郎光明石黒宮崎土田武部入善佐美を始めとして六千余騎こそ籠りけれ
- `所もとより究竟の城郭磐石峙ち廻つて四方に峰を連ねたり
- `山を後ろにし山を前に当つ
- `城郭の前には能美川新道川とて流れたり
- `二つの川の落合に大石を重ね上げ大木を伐つて逆茂木に引き柵を夥しう重ね上げたれば東西の山の根に水塞き込うで湖に向かへるが如し
- ``影浸㆓南山青滉漾
- ``波沈㆓西日紅隠淪
- `かの無熱池の底には金銀の沙を敷き昆明池の渚には徳政の舟を浮かべたり
- `我が朝の火燧城の築池には堤を築き水を濁して人の心を誑かす
- `舟なくしては容易う渡すべきやうなかりければ平家の大勢向かひの山に宿して徒らに日数をぞ送りける
- `かの城郭に籠つたる平泉寺長吏斎明威儀師平家に志深かりければ山の根を廻り消息を書き蟇目に入れ平家の陣へぞ射入れたる
- `兵共これを取つて大将軍の御前に参り開いて見るに
- `この川と申すは往古の淵にあらず一旦山川を塞き留め水を濁して人の心を誑かす
- `夜に入つて足軽共を遣はして柵を切り落させられなば水はほどなく落つべし
- `急ぎ渡させ給へ
- `馬の足立ちよき所にて候ふ
- `後矢をば仕らん
- `かう申す者は平泉寺長吏斎明威儀師が申状
- `とぞ書いたりける
- `平家斜めならずに悦び夜に入り足軽共を遣はして柵を切り落させられたりければげにも夥しくは見えたれどもまことの山河にてありければ水はほどなく落ちにけり
- `平家暫し遅々にも及ばすさつと渡す
- `城の内にも六千余騎防ぎ戦ふといへども多勢に無勢叶ふべしとも見えざりけり
- `平泉寺長吏斎明威儀師平家に付いて忠を致す
- `富樫入道仏誓稲津新介斎藤太林六郎光明叶はじとや思ひけん城を落ちて加賀国に引き退き白山河内に楯籠る
- `平家やがて加賀へうち越え富樫林が城郭二箇所焼き払ふ
- `何面を向かふべしとも見ざりけり
- `近き宿々より飛脚を以てこの由都へ申したりければ大臣殿を始め奉りて一門の人々勇み悦び合はれけり
- `同じき五月八日平家は加賀国篠原にて勢揃へして大手搦手二手に分かつて向かはれけり
- `大手の大将軍には小松三位中将維盛越前三位通盛侍大将には越中前司盛俊を始めとして都合その勢七万余騎加賀越中の境なる砥浪山へぞ向かはれける
- `搦手の大将軍には三河守知度淡路守清房侍大将には武蔵三郎左衛門有国を先として都合その勢三万余騎能登越中の境なる志保山へぞ向かはれける
- `木曾はその比越後の国府に在りけるがこれを聞いて五万余騎で国府を立つて砥浪山へ馳せ向かふ
- `義仲が軍の吉例なればとて五万余騎を七手に分かつ
- `まづ伯父の十郎蔵人行家一万余騎で志保山へぞ向かひける
- `樋口次郎兼光落合五郎兼行北黒坂へ搦手に差し遣はす
- `仁科高梨山田次郎七千余騎南黒坂へ遣はしけり
- `一万余騎をば砥浪山の裾松長の柳原茱萸の木林に引き隠す
- `今井四郎兼平六千余騎鷲瀬をうち渡つて日宮林に控へたり
- `木曾我が身一万余騎小野部の渡りをして砥浪山の北の外れ羽丹生に陣をぞ取つたりける
書下し文
一
- ``影南山を浸して青滉漾たり
- ``波西日を沈めて紅隠淪たり