七一〇一篠原合戦
原文
- `木曾殿やがて其処にて諸社へ神領を寄せらる
- `白山へは横江宮丸二箇所の庄を寄進す
- `多田の八幡へは蝶屋の庄菅生の社へは能美の庄気比の社へは飯原の庄を寄進す
- `平泉寺へは藤島七郷をぞ寄せられける
- `去んぬる治承四年八月石橋山の合戦の時兵衛佐殿射奉し武士共皆逃げ上つて平家の御方にぞ候ひける
- `宗徒の者には長井斎藤別当実盛浮巣三郎重親俣野五郎景久伊藤九郎助氏真下四郎重直なり
- `これらは皆軍のあらぬほど暫く休まんとて日毎に寄り合ひ寄り合ひ巡酒をしてぞ慰みける
- `まづ長井斎藤別当が許に寄り合ひたりける日実盛申しけるは
- `つらつらこの世の中の有様を見るに源氏の方はいよいよ強く平家の御方は負色に見えさせ給ひて候ふ
- `いざ各木曾殿へ参らう
- `と云ひければ皆
- `さんなう
- `とぞ同じける
- `次の日また浮巣三郎が許に寄り合ひたりける時斎藤別当
- `さても昨日実盛申しし事はいかに各
- `と云ひければその中に俣野五郎景久進み出でて申しけるは
- `さすが我等は東国では皆人に知られて名ある者でこそあれ
- `由付けて彼方へ参り此方へ参らん事は見苦しかるべし
- `人をば知り参らせず景久に於いては今度平家の御方で討死せんと思ひ切つて候ふぞ
- `と云ひければ斎藤別当嘲笑つて
- `まことには各御心共をがな引かんとてこそ申したれ
- `実盛も今度討死せんと思ひ切つて候ふぞ
- `その上そのやうをば大臣殿へも申し上げ人々にも云ひ置きて候ふぞ
- `と云ひければまたこの儀にぞ同じける
- `その約束を違へじとや当座にありける二十余人の侍共も今度北国にて皆死けるこそ無慙なれ
- `さるほどに平家は加賀国篠原に引き退いて人馬の息をぞ休めける
- `五月二十一日辰の刻木曾一万余騎篠原に押し寄せて鬨をどつとぞ作りける
- `平家の方は畠山庄司重能小山田別当有重宇津宮左衛門朝綱これらは大番役にて折節在京したりけるを大臣殿
- `汝等は古い者なり
- `軍のやうをも掟てよ
- `とて今度北国へ向けられたり
- `彼等兄弟三百余騎陣の面に進んだり
- `木曾殿の方より今井四郎兼平まづ五百余騎にて馳せ向かふ
- `畠山今井始めは五騎十騎づつ出だし合ひて勝負をせさせけるが後には両方乱れ合ひてぞ戦ひける
- `さるほどに同じき五月二十一日の午の刻草も揺るがず照らす日に源平の兵共我劣らじと戦へば遍身より汗出でて水を流すに異ならず
- `今井が方にも兵多く滅びにけり
- `畠山家子郎等多く討たせ力及ばで引き退く
- `次に平家の方より高橋判官長綱五百余騎で馳せ向かふ
- `木曾殿の方より樋口次郎兼光落合五郎兼行三百余騎でうち向かふ
- `源平の兵共暫し支へて防ぎ戦ふ
- `されども高橋が方の勢は国々の駆武者なりければ一騎も落ち合はず我先にとぞ落ち行きける
- `高橋心は猛う思へども後ろおろかになりければ力及ばずただ一騎南を指してぞ落ち行きける
- `ここに越中国の住人入善小太郎行重よい敵と目をかけ鞭鐙を合はせて馳せ来たり押し並べてむずと組む
- `高橋入善を掴うで鞍の前輪に押し付けちつとも働かさず
- `さては君は何者ぞ
- `名乗れ聞かう
- `と云ひければ
- `越中国の住人入善小太郎行重生年十八歳
- `とぞ名乗つたる
- `高橋涙をはらはらと流いて
- `あな無慙
- `去年後れたる長綱が子も在らば今年は十八歳ぞかし
- `和君捩ぢ切つて捨つべけれどもさらば助けん
- `とて許しけり
- `高橋判官は御方の勢待たんとて馬より下りて息継ぎ居たり
- `入善も休み居たりけるが
- `あつぱれよい敵我をば助たれどもいかにもして討たばや
- `と思ひ居たるところに高橋うち解けて細々と物語をぞし居たる
- `入善は力こそ劣つたれども勝れたる早技の男にてありければ高橋が見ぬ隙に刀を抜き立ち上がり高橋判官が内甲を二刀刺す
- `さるほどに入善が郎等後れ馳せ三騎馳せ来たつて落ち合ひたり
- `高橋心は猛う思へども敵は数多あり痛手は負ひつ運や尽きにけん其処にてつひに討たれぬ
- `次に平家の方より武蔵三郎左衛門有国三百騎ばかり喚いて駆く
- `木曾殿の方より仁科高梨山田次郎五百余騎でうち向かふ
- `これも暫し支へて防ぎ戦ふ
- `有国はあまりに深入りして戦ひけるが馬をも射させ徒立ちになり甲をも打ち落され大童になつて矢種皆尽きければ打物抜いて戦ひけるが矢七つ八つ射立てられて敵の方を睨まへ立死にこそ死ににけれ
- `大将かやうになる上はその勢皆落ちぞ行く