一一一〇五山門返牒
原文
- `山門の大衆この状を披見して案の如く或いは
- `平家に同心せん
- `と云ふ衆徒もあり或いは
- `源氏に付かん
- `と云ふ大衆もあり
- `思ひ思ひ心々異議様々なり
- `老僧共の僉議しけるは
- `我等専ら金輪聖主天長地久と祈り奉る
- `平家は当代の御外戚山門に於いて殊に帰敬を致さる
- `されば今に至るまでかの繁昌をのみ祈誓す
- `されども悪行法に過ぎて万人これを背く
- `国々へ討手を遣すといへども却つて異賊の為に滅ぼさる
- `源氏は近年より以来度々の軍に討ち勝つて運命既に開けんとす
- `何ぞ当山独り宿運尽きぬる平家に同心して運命開くる源氏を背かんや
- `須く早く平氏値遇の儀を翻して源氏合力の志に住すべき
- `由三千一同に僉議して返牒をこそ送りけれ
- `木曾殿また家子郎等を召し集めて覚明にこの返牒を開かせらる
- ``六月十日牒状同十六日到来披閲之処数日鬱念一時解散
- ``凡平家悪逆及㆓累年㆒朝廷騒動無㆑止
- ``事在㆓人口㆒不㆑能㆓委悉㆒
- ``夫到㆓叡岳㆒為㆓帝都東北仁祠㆒致㆓国家静謐精祈㆒
- ``然一天久侵㆓彼夭逆㆒四海鎮不㆑得㆓其安全㆒
- ``顕密法輪如㆑無
- ``擁護神威屡廃
- ``爰貴家適生㆓累代武備家㆒幸為㆓当時清選之仁㆒
- ``予運㆓奇謀㆒起㆓義兵㆒忽忘㆓万死命㆒樹㆓一戦之功㆒
- ``其労未㆑過㆓両年㆒其名既流㆓四海㆒
- ``我山衆徒且以承悦
- ``為㆓国家㆒為㆓累家㆒感㆓武功㆒感㆓武略㆒
- ``如㆑此則知㆓山上精祈不㆒㆑空知㆓海内恵護無㆑怠事㆒
- ``自寺他寺常住仏法本社末社祭奠神明定喜㆓教法栄㆒随喜㆓崇敬復㆒㆑旧
- ``衆徒等心中唯垂㆓賢察㆒
- ``然則冥十二神将忝為㆓医王善逝使者㆒相加㆓凶賊追討勇士㆒顕三千衆徒暫止㆓修学鑚仰之勤節㆒令㆑助㆓悪侶治罰之官軍㆒
- ``止観十乗梵風払㆓奸侶和朝外㆒瑜伽三密法雨回㆓時俗於尭年昔㆒
- ``衆徒僉議如㆑此
- ``倩察㆑之
- ``寿永二年七月二日
- ``大衆等
- `とぞ書いたりける
書下し文
一
- ``六月十日の牒状同じき十六日到来披閲の処に数日の鬱念一時に解散す
- ``凡そ平家の悪逆累年に及んで朝廷の騒動止む事なし
- ``事人口に在り委悉をするに能はず
- ``それ叡岳に至つては帝都東北の仁祠とて国家静謐の精祈を致す
- ``然りといへども一天久しくかの夭逆を侵されて四海鎮にその安全を得ず
- ``顕密法輪無きが如し
- ``擁護の神威屡し廃る
- ``ここに貴家たまたま累代武備の家に生れて幸ひに当時清選の仁たり
- ``予め奇謀を廻らして義兵を起し忽ちに万死の命を忘れて一戦の功を樹つ
- ``その労未だ両年を過ぎざるにその名既に四海に流る
- ``我が山の衆徒且を以て承悦す
- ``国家の為累家の為武功を感じ武略を感ず
- ``かくの如くならば即ち山上の精祈空しからざる事を悦び海内の恵護怠り無き事を知んぬ
- ``自寺他寺常住の仏法本社末社祭奠の神明定めて教法の栄えん事を喜び崇敬の旧きに復せん事を随喜し給ふらん
- ``衆徒等が心中ただ賢察を垂れよ
- ``然れば則ち冥十二神将忝く医王善逝の使者として凶賊追討の勇士に相加はり顕にはまた三千の衆徒暫く修学鑚仰の勤節を止めて悪侶治罰の官軍を助けしめん
- ``止観十乗の梵風は奸侶を和朝の外に払ひ瑜伽三密の法雨は時俗を尭年の昔にかへさん
- ``衆徒の僉議かくの如し
- ``つらつらこれを察せよ
- ``寿永二年七月二日
- ``大衆等