一〇一二四鼓判官
原文
- `凡そ京中には源氏の勢満ち満ちて在々所々に入り取り多し
- `賀茂八幡の御領とも云はず青田を刈りて秣にし人の蔵をうち開けて物を取り路次に以て逢物を奪ひ取り衣裳を剥ぎ取る
- `平家の都におはせし時はただ大方六波羅殿とて恐ろしかりしばかりなり
- `衣裳を剥ぎ取るまではなかりしものを平家に源氏替へ劣りたり
- `とぞ人申しける
- `法皇より木曾左馬頭の許へ
- `狼藉鎮めよ
- `と仰せ下さる
- `御使は壱岐守朝親が子に壱岐判官朝康といふ者なり
- `天下に聞えたる鼓の上手にてありければ時の人
- `鼓判官
- `とぞ申しける
- `木曾対面してまづ御返事をば申す
- `さて抑も和殿を鼓判官といふはよろづの人に打たれたうか張られたうか
- `とぞ云ひたりける
- `朝康返事に及ばず急ぎ帰り参りて
- `義仲烏滸の者にて候ふ
- `早く追討せさせ給へ
- `只今朝敵となり候ひなんず
- `と申しければ法皇さらば然るべき武士にも仰せ付けられずして山の座主寺の長吏に仰せられて山三井寺の悪僧共をぞ召されける
- `公卿殿上人の召されける勢といふは向礫印地云ふかひなき辻冠者原さては乞食法師共なり
- `木曾左馬頭院の御気色悪しうなると聞えしかば始めは木曾に従うたりける五畿内の者共皆木曾を背いて院方へ参る
- `また信濃源氏村上判官代これも木曾を背いて法皇へ参りけり
- `今井四郎申しけるは
- `これこそ以ての外の御大事にて候へ
- `さればとて十善の君に向かひ参らせていかでか御合戦候ふべき
- `ただ甲を脱ぎ弓の弦を外いて降人に参らせ給ふべうもや候ふらん
- `と申しければ木曾大きに怒つて
- `我信濃を出でし時小見合田の軍より始めて北国には砥浪黒坂塩坂篠原西国には福隆寺縄手篠の迫板倉川城を攻めしかども一度も敵に後を見せず
- `たとひ十善の君にて渡らせ給ふとも甲を脱ぎ弓の弦を外いて降人にはえこそ参るまじけれ