一一一二五法住寺合戦

原文

  1. `たとへば都の守護してあらんずる者が馬一疋づつ飼うて参らざるべきか
  2. `幾らもある田共刈らせ秣にせんを強ちに法皇の咎め給ふべきやうやある
  3. `兵糧米尽きぬれば冠者原共が片辺に付いて時々入り取りせんはなじかは苦しかるべき
  4. `大臣以下宮々の御所へも参らばこそ僻事ならめ
  5. `いかさまこれは鼓判官が凶害と覚ゆるぞ
  6. `その鼓めうち破つて捨てよ
  7. `今度は義仲が最後の軍にてあらんずるぞ
  8. `且つは兵衛佐頼朝が帰り聞んずるところもあり
  9. `軍ようせよ者共
  10. `とてうち出でけり
  1. `北国の者共皆落ち下つて僅か六七千騎ぞありける
  2. `義仲が軍の吉例なればとて七手に分かちまづ樋口次郎兼光二千余騎で新熊野の方へ搦手に差し遣はす
  3. `残る六手は各が居たらんずる条里小路より河原へ出でて七条河原で一つになれと相図を定めてうち立ちけり
  4. `御方の笠標には松の葉をぞ付けたりける
  1. `軍は十一月十九日の朝なり
  2. `院御所法住寺殿にも軍兵二万余人参り籠りたる由聞えけり
  3. `木曾法住寺殿の西門へ押し寄せて見れば鼓判官知康は軍の行事承つて御所の西の築垣の上へ登り上がつて立つたりけるが赤地の錦の直垂に甲ばかりぞ着たりける
  4. `甲には四天を書いてぞ押したりける
  5. `片手には鉾を持ち片手には金剛鈴を持つてうち振りうち振り時々は舞ふ折もありけり
  6. `公卿殿上人は
  7. `風情なし
  8. `朝康には天狗憑いたり
  9. `とぞ笑はれける
  1. `朝康大音声を揚げて
  2. `昔は宣旨を向かつて読みければ枯れたる草木も忽ちに花咲き実生り悪鬼悪神も従ひき
  3. `末代といふともいかでか十善の君に向かひ参らせて弓を引き矢を放つべき
  4. `放たん矢は却つて身に当たるべし
  5. `抜かん太刀は却つて身を切るべし
  6. `など罵りたりければ木曾
  7. `さな云はせそ
  8. `とて鬨をどつと作りける
  1. `さるほどに樋口次郎兼光二千余騎新熊野方より鬨の声をぞ合はせける
  2. `今井四郎兼平鏑の中に火を入れて法住寺殿の御所の棟に射立てたりければ折節風は烈しし猛火天に燃え上がつて焔は虚空に満ち満ちてり
  3. `軍の行事朝康は人より先に落ちにけり
  4. `行事が落つる上は二万余人の兵共我先にとぞ落ち行きける
  5. `あまりに周章て騒いで弓取る者は矢を知らず矢取る者は弓を知らず
  6. `或いは長刀倒に突いて我が足突き貫く者もあり
  7. `或いは弓の弭物に懸けてえ外さで捨て逃ぐる者もあり
  1. `七条が末をば摂津国源氏の固めたりけるが院御所より
  2. `落人あらば用意して皆打ち殺せ
  3. `と下知せられたりければ在地の者共屋根居に楯を突き並べ襲への石を取り集めて待ち居たる所に摂津国源氏の落ちけるを
  4. `あはや落人
  5. `とて石を拾ひかけ散々に打ちければ
  6. `これは院方であるぞ過ちすな
  7. `と云ひけれども
  8. `さな云はせそ
  9. `院宣であるにただ打ち殺せ打ち殺せ
  10. `とて打つほどに或いは頭打ち割られ或いは腰打ち折られて馬より落ち這ふ這ふ逃ぐる者もあり
  11. `或いは打ち殺さるる者も多かりけり
  1. `八条が末をば山僧共の固めたりけるが恥ある者は討死しつれなき者は落ちて行く
  2. `主水正親業薄青の狩衣の下に萌黄威の腹巻を着白月毛なる馬に乗つて河原を上りに落ちけるを今井四郎兼平追つかかりよつ引いてしや首の骨をひやうと射て馬より倒に射落す
  3. `大外記頼業が子なりけり
  4. `明経道の博士甲冑を鎧ふ事これ始めとぞ承る
  1. `さるほどに木曾を背いて法皇へ参りたる信濃源氏村上三郎判官代も討たれぬ
  2. `近江中将為清越前守信行も討ち殺されて首取られぬ
  3. `伯耆守光綱子息判官光長も父子共に討ち殺されぬ
  4. `按察使大納言資方卿の孫播磨少将雅方も鎧に立烏帽子で軍の陣へ出でられたりけるが樋口次郎が手に懸かつて生捕にせられけれ
  5. `天台座主明雲大僧正寺の長吏円慶法親王も御所に参り籠らせ給ひたりけるが黒煙既に押しかけければ御馬に召して急ぎ河原へ出でさせ給ひけるを武士共散々に射奉る
  6. `明雲大僧正円慶法親王も御馬より射落されて御首取られさせ給ひけり
  7. `法皇は御輿に召して他所へ御幸成る
  8. `武士共も散々に射奉る
  1. `豊後少将宗長木蘭地の直垂に折烏帽子で供奉せられたりけるが
  2. `これは院にて渡らせ給ふぞ過ち仕るな
  3. `と申されたりければ武士共皆馬より下りて畏る
  4. `何者ぞ
  5. `と御尋ねありければ
  6. `信濃国の住人八島四郎行綱
  7. `と名乗り申す
  1. `やがて御輿に手懸け参らせて五条内裏へ入れ奉つて厳しう守護し奉る
  2. `豊後国司刑部卿三位頼資卿も御所に参り籠られたりけるが黒煙既に押し懸けければ急ぎ河原に逃げ出でらる
  3. `武士の下部共に衣裳皆剥ぎ取られて真裸にて立たれたり
  4. `比は十一月十九日の朝なれば河原の風さこそ烈しかりけめ
  5. `三位の兄人越前法橋性意が中間法師のありけるが軍見んとて河原へ出でたりけり
  6. `三位の裸にて立たれたるを見付けて
  7. `あなあさまし
  8. `とて急ぎ走り寄る
  1. `この法師は白小袖二つに衣着たりける
  2. `さらば小袖をも脱いで着せ奉れかし衣を脱いで投げ懸けたり
  3. `短き衣空穂に頬被つて帯もせず
  4. `後ろの体さこそ見苦かりけめ
  1. `白衣なる法師を供に具しておはしけるがさらば急ぎも歩み給はで彼処此処に立ち休らひ
  2. `あれは誰が家ぞ
  3. `これは何者が宿所ぞ
  4. `と問ひ給へば見る人手を叩いて笑ひ合へり
  1. `主上は池に舟を浮かべて召されたりけるが武士共頻りに矢を参らせければ七条侍従信清紀伊守教光御舟に候はれけるが
  2. `これは内の渡らせ給ぞや
  3. `過ち仕るな
  4. `と申されければ武士共皆馬より下りて畏る
  5. `やがて閑院殿へ行幸成し奉る
  6. `行幸の儀式のあさましさ申すも中々おろかなり
  1. `院方に候ひける近江守仲兼は法住寺殿の西の門を固めて防ぐ処に近江源氏山本冠者義高鞭鐙を合はせて馳せ来たり
  2. `いかに各は誰を庇はんとて軍をばし給ふぞ
  3. `御幸も行幸も他所へ成りぬとこそ承れ
  4. `と云ひければ
  5. `さらば
  6. `とてその勢五十騎大勢の中へ駆け入り
  7. `一方打ち破つてぞ通りける
  8. `主従八騎に討ち成さる
  1. `八騎が中に河内の日下党に加賀房といふ法師武者あり
  2. `月毛なる馬の口の強きにぞ乗つたりける
  3. `この馬はあまりに口が強うて乗り堪つべしとも存じ候はず
  4. `と云ひければ源蔵人
  5. `さらば我が馬に乗り替へよ
  6. `とて栗毛なる馬の下尾白いに乗り替へて根井小弥太が二百騎ばかりで控へたる河原坂の勢の中へ駆け入り散々に戦ひ其処にて八騎が五騎討たれぬ
  7. `加賀房は
  8. `我が馬の非愛なり
  9. `とて主の馬に乗り替へたりけれども運や尽きにけん其処にてつひに討たれにけり
  1. `ここに源蔵人家子に信濃次郎蔵人仲頼といふ者あり
  2. `栗毛なる馬の下尾白いが走り出でたるを見付けて下人を呼び
  3. `此処なる馬は源蔵人の馬と見るは僻事か
  4. `さん候ふ
  5. `はや討たれ給ひけるにこそ
  6. `死なば一所で死なんとこそ契りしか
  7. `どの勢の中へ入るとか見つる
  8. `河原坂の勢の中へこそ入らせ給ひ候ひつるなれ
  9. `御馬もやがてあの勢の中より出で来て候ふ
  10. `と申しければ次郎蔵人涙をはらはらと流いて妻子の許へ最後の有様云ひ遣はしただ一騎河原坂の勢の中へ駆入り鐙踏ん張り立ち上がり大音声を揚げて
  11. `敦実親王に八代の後胤信濃守仲重次男信濃次郎蔵人仲頼といふ者なり
  12. `生年二十七
  13. `我と思はん人々は寄り合へや見参せん
  14. `とて縦様横様蜘蛛手十文字に駆け破り駆け廻り戦ひけるが敵数多討ち取つてつひに討死してけり
  1. `源蔵人これをば知り給はず
  2. `兄の河内守仲信うち具して主従三騎南を指して落ち行きけるが摂政殿都をば軍に恐れさせ給ひて宇治へ御出ありけるに木幡山にて追つ付き奉り馬より下りて畏る
  3. `何者ぞ
  4. `と御尋ねありければ
  5. `仲兼
  6. `仲信
  7. `と名乗り申す
  8. `北国の凶徒等かな
  9. `と思し召したればとて御感あり
  10. `やがて
  11. `汝も御供に候へ
  12. `と仰せければ承つて宇治の富家殿まで送り参らせてそれよりこの人々は河内国へぞ落ち行きける
  1. `明くる二十日の日木曾左馬頭六条河原にうち立つて昨日斬るところの首共皆懸け並べて記いたれば七百三十余人なり
  2. `その中に天台座主明雲大僧正寺長吏円慶法親王の御首も懸からせ給ひたり
  3. `これを見る人涙を流さずといふ事なし
  1. `木曾の勢七千余騎馬の頭を東向け天も響き大地も揺るぐばかりに鬨をぞ三箇度作りける
  2. `京中また騒ぎ合へり
  3. `但しこれは悦びの鬨とぞ聞えし
  1. `さるほどに故少納言入道信西の子息宰相長教法皇の渡らせ給ふ五条内裏に参つて門より参らうとすれば守護の武士共許さず
  2. `力及ばである小屋に立ち入り俄に髪剃下ろし墨染の衣袴着て
  3. `この上は何か苦しかるべき
  4. `入れよ
  5. `と宣へばその時許し奉る
  6. `泣く泣く御前へ参つて今度討たれ給ふ人々の事一々申したりければ法皇
  7. `明雲は非業の死にすべき者とは露も思し召し寄らざりしものを
  8. `今度はただ我がいかにも成るべかりつる御命に替はりたるにこそ
  9. `とて御涙塞き敢へさせ給はず
  1. `前関白松殿の姫君取り奉つて松殿の聟に押し成る
  2. `木曾家子郎等召し集めて評定す
  3. `抑も義仲一天の君に向かひ参らせて軍にはうち勝ちぬ
  4. `主上にや成らまし
  5. `法皇にや成らまし
  6. `法皇に成らうと思へども法師に成らんもをかしかるべし
  7. `主上に成らうと思へども童にならんも然るべからず
  8. `よしよしさらば関白に成らう
  9. `と云ひければ手書に具せられたる大夫房覚明
  10. `関白は藤原こそ成らせ給へ
  11. `殿は源氏で渡らせ給へばそれこそ叶ひ候ふまじ
  12. `とぞ申しける
  13. `さらば
  14. `とて院の御厩別当に押し成つて丹波国をぞ知行しける
  15. `院の御出家あれば
  16. `法皇
  17. `と申す
  18. `主上の未だ御元服もなきほどは御童形にましましけるを知らざりけるこそうたてけれ
  1. `同じき二十三日三条中納言朝方卿以下四十九人の官職を停めて追ひ籠め奉る
  2. `平家の時は四十三人をこそ停められたりしか
  3. `これは四十九人なれば平家の悪行にはなほ超過せり
  1. `さるほどに鎌倉の前兵衛佐頼朝木曾が狼藉鎮めんとて舎弟蒲冠者範頼九郎冠者義経に六万余騎を相副へて差し上せられけるが都には軍出で来て御所内裏皆焼き払ひ天下暗闇と成つたる由聞えしかば
  2. `左右なう上つて軍すべきやうもなし
  3. `とて尾張国熱田の大宮司が許におはしけるにこの事訴へんとて北面に候ひける宮内判官公朝藤内左衛門時成尾張国へ馳せ下りこの由かくと申しけれれば九郎御曹司
  4. `これは宮内判官関東へ下らるべきで候ふぞ
  5. `子細存ぜぬ使は返し問はるる時不審の残るに
  6. `とぞ宣へば公朝急ぎ関東へ馳せ下る
  1. `今度の軍に所従皆落ち失せ討たれにしかば嫡子の宮内所公茂が十五に成るをぞ具したりける
  2. `夜を日に継いで鎌倉へ馳せ下りこの由申されければ鎌倉殿
  3. `これは鼓判官が不思議の事申し出でて君をも悩まし奉り多くの高僧貴僧をも失ひける事こそ返す返すも奇怪なれ
  4. `これらを召し使はせ給はば重ねて御大事出で来候ひなん
  5. `と早馬を以て都へ申されければ知康この事陳ぜんとて夜を日に継いで鎌倉へ馳せ下る
  1. `兵衛佐
  2. `しやつに目な見せそ
  3. `あひしらひなせそ
  4. `と宣へば日毎に兵衛佐の館へ向かふ
  5. `つひに面目なくして都へ帰り上り後には稲荷の辺なる所に命ばかり生きつつ過ぐしけるとぞ聞えし
  1. `さるほどに木曾殿西国へ使者を立てて
  2. `急ぎ上らせ給へ
  3. `一つになつて東国攻めう
  4. `と宣ひ遣はされたりければ大臣殿は悦ばれけれども平大納言新中納言は
  5. `さこそ世末にて候ふは義仲に語らはれていかでか都へ上らせ給ふべき
  6. `十善帝王三種神器を帯して渡らせ給へば
  7. `甲を脱ぎ弓の弦を外いてこれへ降人に参れ
  8. `とは仰せ候ふべし
  9. `と申されければそのやうを御返事ありしかども木曾用ひ奉らず
  1. `松殿入道殿の館へ木曾を召して
  2. `清盛公は悪人たりしかども稀代の善根を為置きたればにや世をも穏しう二十年余まで保ちたりしなり
  3. `悪行ばかりにて世を保つ事はなきものを
  4. `させる故なうて押し籠め奉つたる人々の官途共皆許すべき
  5. `由仰せられければひたすらの荒夷のやうなれども従ひ奉つて官したる皆人々の官途共許し奉る
  6. `松殿の御子師家公その時は未だ中納言中将にてましましけるを木曾計らひにて大臣摂政に成し奉る
  7. `折節大臣あかざりければその比の徳大寺殿は内大臣にてましましけるを借り奉つて大臣摂政に成し奉る
  8. `いつしか人の口なれば新摂政殿をば
  9. `借大臣
  10. `とぞ申しける
  1. `同じき十二月十日の日法皇をば五条内裏を出だし奉つて大膳大夫業忠が宿所六条西洞院へ御幸成し奉る
  2. `やがてその日歳末の御修法始めらる
  3. `同じき十三日除目行はれて木曾が計らひにて人々の官階共思ふ様に成し置きけり
  4. `平家は西国に兵衛佐は東国に木曾は都に張り行ふ
  5. `前漢後漢の間王莽が世を討ち取つて十八年治めたりしが如し
  6. `四方の関々皆閉ぢたれば朝廷の御貢物をも奉らず秋の年貢も上らねば京中の上下ただ少水の魚の如し
  7. `危なながらに年暮れて寿永も三年になりにけり