六一六五志度浦合戦
原文
- `明けければ平家は当国志度浦へ漕ぎ退く
- `判官八十余騎志度へ追つてぞ駆けられける
- `平家これを見て
- `源氏は小勢ぞ
- `中に取り籠めて討てや
- `とて千余人渚に上がり源氏を中に取り籠めて我討ち取らんとぞ進みける
- `さるほどに八島に残り留まつたる二百余騎の勢共後れ馳せに馳せ来たる
- `平家の兵共これを見て
- `あはや源氏の大勢の続きたるは
- `取り籠められては叶ふべからず
- `とて引き退き皆舟にぞ乗りにける
- `四国をば九郎大夫判官攻め落されぬ
- `九国へは入れられずただ中有の衆生とぞ見えし
- `判官は志度浦に下り居て首共の実検しておはしけるが伊勢三郎義盛を召して
- `阿波民部重能が嫡子田内左衛門教能は伊予の河野四郎が召せども参らぬを攻めんとてその勢三千余騎で伊予へ越えたりけるが河野をば討ち洩らしぬ
- `家子郎等百五十人が首斬つて昨日八島の内裏へ参らせて今日これへ着くと聞く
- `汝行き向かつて拵へて見よ
- `と宣へば義盛畏り承つて旗一流賜はつて差すままに手勢十六騎皆白装束に出で立つて馳せ向かふ
- `さるほどに伊勢三郎田内左衛門寄り合ひたり
- `あはひ一町ばかりを隔てて互いに赤旗白旗うち立てたり
- `義盛教能が許へ使者を立て
- `且つ聞し召されてもや候ふらん鎌倉殿の御弟九郎大夫判官殿こそ平家追討の院宣を承つて西国へ向かはせ給ひて候ふ
- `御内に伊勢三郎義盛と申す者にて候ふが軍合戦の料で候はねば物具もし候はず弓箭も帯し候はず
- `大将に申すべき事あつてこれまで罷り向かつて候ふぞ
- `開けて入れさせ給へ
- `と云ひ送りたりければ三千余騎の兵共皆中を開けてぞ通しける
- `伊勢三郎田内左衛門にうち並べて云ひけるは
- `且つ聞き給ひても候ふらん
- `鎌倉殿の御弟九郎大夫判官殿こそ平家追討の為にこれまで向かはせ給ひて候ふが一昨日阿波国勝浦に着いて御辺の伯父桜間介殿討ち取り候ひぬ
- `八島に着いて軍し御所内裏皆焼き払ひ主上は海に入らせ給ふ
- `大臣殿父子をば生捕にし参らせ候ふ
- `能登殿も御自害その外の人々は或いは御自害或いは海へ入らせ給ふ
- `余党の少々残つたるをば今朝志度浦にて皆討ち取り候ひぬ
- `御辺の父阿波民部殿は降人に参らせ給ひて候ふを義盛が預り奉つて候ふが
- `あな無慙田内左衛門教能がこれをば夢にも知らずして明日は軍して討たれんずる事の無慙さよ
- `と終夜嘆き給ふが労しさに告げ知らせ参らせんが為にこれまで罷り向かつて候ふぞ
- `今は軍して討たれ給はんともまた甲を脱ぎ弓の弦を外し降人に参つて父を今一度見参らせんともともかくも御辺の御計らひぞ
- `と云ひければ田内左衛門
- `且つ聞く事に少しも違はず
- `とて甲を脱ぎ弓の弦を外して降人に参る
- `大将かやうに成る上は三千余騎の兵共も皆かくの如し
- `僅か十六騎に具せられておめおめと降人にこそ成りにけれ
- `義盛判官の御前に畏つてこの由かくと申しければ
- `義盛が振舞ひこそ今に始めぬ事なれども神妙にも仕つたるものかな
- `とてやがて田内左衛門をば物具召されて伊勢三郎に預けらる
- `さてあの勢共はいかがせん
- `と宣へば
- `遠国の者は誰を誰とか思ひ参らせ候ふべき
- `ただ世を鎮め国を知ろし召さんを君とせん
- `と申しければ判官
- `尤も然るべし
- `とて三千余騎の兵共を皆我が勢にぞ付けられける
- `さるほどに渡辺福島両所に残り留まりたりける二百余艘の舟共梶原を先として二月二十一日の辰の一点に八島の磯にぞ着きにける
- `四国をば九郎判官攻め落されぬ
- `今は何用にか逢ふべき
- `六日の菖蒲会に逢はぬ花諍ひ果てての千切木かな
- `とぞ笑はれける
- `九郎大夫判官義経八島へ渡り給ひて後住吉の神主津盛長盛都へ上り院参して去んぬる十六日の曉当社第三の寝殿より鏑矢の声出で西を指して罷り候ひぬ
- `と奏聞せられたりければ法皇大きに御感あつて御剣以下種々の神宝を長盛して住吉大明神へ参らせらる
- `昔神功皇后新羅を攻めさせめ給ひし時伊勢大神宮より二神荒御前を差し添へさせ給ひけり
- `二神御舟の艫舳に立ちて新羅を安う攻め従へさせ給ひけり
- `異国の軍を鎮めさせ給ひて帰朝の後一神は摂津国住吉郡に留まらせおはします
- `住吉大明神これなり
- `いま一神は信濃国諏訪郡に跡を垂る
- `諏訪大明神の御事なり
- `昔の征伐の事を思し召し忘れさせ給はで今も朝の怨敵を滅ぼし給ふべきにやと君も臣も頼もしうぞ思し召されける