一四一七三文沙汰
原文
- `平大納言時忠卿も判官の宿所近うぞおはしけるが子息讃岐中将時実を招いて
- `散らすまじき文を一合判官に取られてあるぞとよ
- `これを鎌倉の源二位に見せなば人も多く滅び我が身も命助かるまじ
- `いかがせん
- `と宣へば讃岐中将申されけるは
- `九郎は猛き武士なれども女房などの訴へ申す事をばもて離れずとこそ承つて候へ
- `姫君達数多ましまし候へばいづれにても御一所見せさせおはしまし親しうならせ給ひて後仰せ出ださるべうもや候ふらん
- `と申されたりければその時大納言涙をはらはらと流いて
- `さりとも我が世にありし時は娘共をば皆女御后に立てんとこそ思ひしか
- `並々の人に見せんとは思はざりしものを
- `とて泣かれければ讃岐中将
- `今は努々思し召し寄らせ給ふべからずとて中将の計らひには当腹の姫君の生年十七に成り給ふを
- `と申されけれども大納言それをばなほいとほしき事に思して先の腹の姫君の生年二十二に成り給ふををぞ判官には見せられける
- `これは年こそ少し大人しけれども眉目姿世に勝れ心様優におはしければ判官も世に有難き事にぞ宣ひける
- `先の上の河越太郎重頼が娘もありけれどもそれをば別の所へ移し奉つて座敷設うてぞ置かれける
- `さてかの文の事を宣ひ遣はされたりければ判官剰へ封をだに解かずして大納言の許へ遣はさる
- `やがて焼いてぞ捨てられける
- `いかなる御文にてかありけん覚束なうぞ聞えし