六六二代后
現代語訳
- `昔から現在に至るまで、源平両氏は朝廷に召し使われ、帝に従わず朝廷の権威を甘く見る者に対しては互いに制裁を加えていたので、世の乱れはなかったが、保元の乱で源為義が斬られ、平治の乱で源義朝が殺されてからは、末裔の源氏たちは、流罪にされたり、殺されたりして、今や平家一門のみが繁栄し、他に台頭する者はなくなっていた
- `どんな世の中が来ても、末代まで盤石であるように見えた
- `しかし、鳥羽院崩御の後は戦乱が続き、死罪、流刑、解官、停任が常に行われ、国内も穏やかならず、世の中もいまだ落ちつきを取り戻していなかった
- `とりわけ永暦・応保の頃から、後白河法皇の側近たちを二条天皇方が懲戒なさり、二条帝方の側近たちを後白河法皇方が懲戒なさるといったことが行われ、人々は恐れおののき、心休まるときもなかった
- `深淵の水面に張る薄氷を踏むがごとくであった
- `二条天皇・後白河法皇父子の間に何か不和が生じていたのであろうが、意外な出来事が続発した
- `これも世の末となって人の心が荒んでしまったせいである
- `二条天皇は後白河法皇の仰せをなにかにつけて逆らっておられたが、中でも、世間を巻き込んでおおいに非難された事件があった
- `亡き近衛天皇の后で太皇太后宮・多子という方は大炊御門右大臣・藤原公能公の娘である
- `近衛天皇崩御の後は宮中を離れ、近衛川原の御所に移り住まわれていた
- `前の后の宮でひっそりと暮らされ、永暦の頃には二十二・三歳ほどになっておられただろうか
- `女盛りも少々過ぎておられた
- `とはいえ天下随一の美女との誉れも高く、二条天皇は好色であられたので、唐の玄宗皇帝が密かに高力士に命じて楊貴妃を外宮に召したように、この大宮へ艶書を送られた
- `大宮はまったくとりあわれなかった
- `二条天皇はこれを表沙汰にされ、后が入内するよう実家の右大臣・大炊御門家に宣旨を下された
- `このことは大事件だったので、公卿が寄り合い衆議が開かれた
- `そして各自意見を述べた
- `まず異国の先例を調べてみたところ、震旦の則天皇后は唐の太宗の后、高宗皇帝の継母である
- `太宗崩御の後、高宗の后となられた例がある
- `それは異国の先例であって、特別な事情があった
- `しかし、我が国では、神武天皇以来、天皇七十余代に及ぶまで、いまだ二代の后となられた例を聞いたことない
- `と、諸卿は揃って言われた
- `後白河法皇もそれはよくないと説得されたが、二条天皇は
- `天子に父母なし
- `朕は十善の功徳によって天皇の地位に即いている
- `これしきのことが思いどおりにならぬ道理があるか
- `と、すぐさま入内の日を定めて宣旨を下されたので、もう誰も何も言えなかった
- `大宮は事の次第を聞いて涙に沈まれた
- `先帝に先立たれた久寿の秋の初め、同じ野原の露と消えるか、出家して遁世でもしていれば、今このようなつらい目に遭わずに済んだのに
- `とお嘆きになった
- `父の公能公がなだめられ
- `世に従わぬことをもって狂人とする
- `といにしえの書にある
- `既に勅命は下った
- `あれこれ申し上げる余地はないぞ
- `一刻も早く内裏へ参れ
- `もし皇子がお生まれになれば、そなたも帝の母と呼ばれ、わしも外祖と敬われる、その吉兆かもしれぬ
- `この老父を喜ばせてくださることこそ、親孝行の至りであると思うが
- `とあれこれ説得されてみたが、返事はなかった
- `大宮はその頃、なんとなしの手習いのついでに、こう詠まれた
- `うきふしに、しづみもせずに河竹の、世に例のない名を、のこすことになるのでしょうか
- `どこから洩れたのか、なんとも胸を打つ話だと世間の人々が言い合った
- `早くも入内の日になり、父・公能公は、お供の上達部や出車の儀式などに特に念を入れ、支度を調えて送り出された
- `大宮は気の進まない輿入れなので、竦んでおられた
- `すっかり夜も更け、真夜中になってから、御車に半ば押されるように乗せられたのだった
- `入内の後には麗景殿に住まわれた
- `ただ朝から政務を執られるよう勧められるありさまだった
- `紫宸殿の皇居には賢聖の障子が立てられている
- `殷の伊尹、漢の鄭伍倫、唐の虞世南、周の太公望、秦・漢の甪里先生、唐の李勣、唐の思摩、手長・足長、馬形の障子、鬼の間のほか、漢の李将軍の姿をそっくり描き写した障子もある
- `尾張守・小野道風が
- `七度賢聖の障子
- `の書いたのも道理である
- `清涼殿の画図の障子には、昔、絵師・巨勢金岡が描いた遠山の有明の月もあるという
- `亡き近衛天皇がまだ幼主であられたその昔、無邪気な手遊びのついでに書き曇らされたものが、少しも変わらず残っているのをご覧になり、先帝のいらした昔を恋しく思われて、こう詠まれた
- `思いもかけず、憂い身ながらに巡り来て、同じ雲井の月を見るとは
- `その間の仲は、言い知らず哀れにやさしかった