現代語訳
- `また重盛殿は、来世での幸不幸を嘆き、阿弥陀仏四十八願になぞらえて東山の麓に四十八間の寺院を建て、一間にひとつずつ四十八の燈籠を掛けられたので、まるで九品の蓮台が目前に輝くがごとく、光は鸞鳥を背面に刻んだ鏡のようにきらめいて極楽浄土を臨むがごとくで、大念仏と定められた毎月十四・十五日には、平家や他家の人々のもとから女盛りの美麗な女房を招いて、一間に六人ずつ総勢二百八十八人の尼衆を定められると、この二日間は、重盛殿も読経しながら礼拝する中に交じられ、一心不乱に阿弥陀の名を唱える声が止むことはなかった
- `ゆえに、阿弥陀来迎の悲願も叶い、衆生救済の光も重盛殿をのみ照らされたかと思えるほどであった
- `十五日の日中を結願として、重盛殿は西に向かって手を合わせ
- `南無安養世界教主弥陀善逝、三界六道の衆生をあまねくお救いください
- `と回向・発願をされると、見る人は慈悲の心を芽生えさせ、聞く者はみな感涙した
- `そのことから、重盛殿を
- `燈籠大臣
- `と呼ぶようになった