一五四七法印問答
現代語訳
- `清盛入道は、重盛殿に先立たれてしまった
- `何事につけても心細かったようで、福原へ馳せ下り、門を閉ざしてしまわれた
- `同・治承三年十一月七日の夜・戌の刻頃、長く大きな地震があった
- `陰陽寮長官・安倍泰親が内裏へ駆けつけ
- `今夜の地震、占文によれば、慎みは軽いものではありません
- `陰陽道三経の中の坤儀経の説を見ますと、年ならば一年以内、月ならば一月以内、日ならば一日以内
- `差し迫っております
- `と涙をほろほろ流すと、取り次ぎの者も顔色を変え、高倉天皇も驚かれた
- `若い公卿や殿上人は
- `何も起こるわけがない
- `今の泰親の泣き顔はどうも怪しいな
- `と笑い合われた
- `しかし、泰親は、安倍晴明五代の末裔として、天文学は真髄を究め、占いの推論は手のひらの中を指すかのごとく正確だった
- `一度も外れたことがないので
- `さすの神子
- `と呼ばれていた
- `雷が落ちかかったが、雷火で狩衣の袖は焼けたものの、その身は無傷であった
- `上古にも末世にも稀な泰親であった
- `同・治承三年十一月十四日、清盛入道は何を思われたか、数千騎の軍兵を率いて福原から京へ帰られるのではないかと噂が立ち、京中の人々は皆事態がわからないまま騒ぎになった
- `また誰が言い出したのか
- `清盛入道が天皇家を恨んでおられる
- `と言いふらした
- `関白・藤原基房殿の耳にも入っておられたのか、急いで参内され
- `今回の清盛入道の入洛の目的はただひとつ、この基房を滅ぼすために違いない
- `ついにどんな目にか遭わされるだろう
- `と奏聞させると、高倉天皇がお聞きになって
- `そなたがどんな目にか遭ったら、朕も同じ目に遭うだろう
- `とおそれ多くも両の眼より涙を流された
- `本来、天下の政治というのは天皇と摂政によって行われるはずが、これはいったいどういうことであろうか
- `天照大神や春日大明神のお考えも測りかねる
- `同・十一月十五日
- `清盛入道が天皇家を恨んでおられることは間違いない
- `という噂が流れると、後白河法皇はおおいに驚かれ、故少納言・藤原信西の子息・静憲法印を使者として清盛入道のもとへ送られた
- `法皇は
- `近年、朝廷は平穏でなく、人の心も調和がとれず、世間もだんだん落ち着かなくなっていくのを、帝もなにかにつけて嘆いておられるので、そなたがいるのだから万事そなたに頼もうと思っていたところ、天下を鎮めるほどではないにせよ、なにやら騒々しく、しかも天皇家を恨んでいるなどと耳にしたが、いったいどういうことなのか
- `と仰せになった
- `静憲法印は、仰せを承って西八条にある清盛入道の屋敷に出向いた
- `朝から晩まで待ったが、なんの音沙汰もないので
- `やはりそうか
- `と無益に思い、源大夫判官季貞に法皇の趣旨を伝えさせ
- `これにて失礼
- `と退出されると、そのとき清盛入道が
- `静憲法印を呼べ
- `と、現れた
- `呼び返して
- `法印殿、わしの申すことは間違っているだろうか
- `まず重盛が世を去ったことは、平家の運命を測る上でも大きくて、わしはずいぶん涙をこらえて過ごしてきた
- `そなたもお察しくだされ
- `保元の乱以後は乱逆が続いて、帝も安堵しておられなかったとき、わしはただ大方のことを執り行うだけであった
- `重盛ひとりが身を粉にして働き、幾たびのお怒りを静め参らせてきた
- `そのほか、臨時の催しや朝夕の政務など、重盛ほどの功臣はめったにいないと存ずる
- `故事を引き合いに出すが、唐の太宗は臣下・魏徴に先立たれた悲しみのあまりに
- `昔の殷宗は夢の中で優秀な臣下を得、今の朕は覚めてみると賢臣を失っていた
- `という碑文を自ら書いて、魏徴の墓所に立てて悲しまれたという
- `我が国にも近い過去に例がある
- `民部卿・藤原顕頼が世を去ったとき、亡き鳥羽上皇がひどくお嘆いになって、石清水八幡宮への御幸を延期され、管弦の御遊もとりやめとなった
- `臣下が死んだとき、代々の帝は皆お嘆きになった
- `ゆえに
- `親よりも懐かしく、子よりも睦まじいのは君主と臣下との仲である
- `と言うのだと思う
- `なのに、重盛の喪もまだ明けぬうちに石清水八幡宮に御幸し、管弦の御遊があった
- `お嘆きの様子ひとつ見受けられない
- `たとえ重盛の忠心をお忘れになっても、なぜわしの悲しみをお憐れみくださらないのか
- `父子共々帝の御心から離れてしまったことで、もはや面目を失ってしまった
- `これがひとつ
- `次に、重盛の領地であった越前国を孫子の代まで変えない約束をなさっていたにもかかわらず、重盛の死後ただちに召し返されたのは何の過失があってのことなのか
- `これがひとつ
- `次に、中納言に欠員が出たとき、二位中将・藤原基通がしきりに望んでいたので、わしがずいぶんと推挙したが、ついに承認されず、関白・基房殿のまだ幼い子息・師家をその座に就けられたのはどういうわけなのか
- `たとえわしがいかなる無礼をしたとしても、一度くらいはお聞き届けくださってもよいのではないか
- `ましてや、本家の嫡子であることといい、その地位といい、とやかく言う余地もないのに、約束を違えられたのは、あまりに残念なお計らいである
- `これがひとつ
- `次に、新大納言・藤原成親卿以下側近の者たちが鹿が谷に寄り合い、謀反を企てたのも、実は成親卿個人の計略ではなく、法皇のお許しがあってのこと
- `いまさらな物言いになるが、この平家一門を七代まではお見捨てになどできないはずなのに、わしが七十歳に近づき、余命幾ばくもない時期になって、ややもすれば滅ぼそうとなさる気配がうかがえる
- `ましてや、子孫が続いて朝廷に召し使われることは難しい
- `老いて子を失うのは枯れ木に枝がないのに等しい
- `今は残り少ない現世に心を費やしても何かが変わるわけではないから、どうにでもなってしまえと思うこともある
- `と腹を立てられたり、涙を落とされたりすると、静憲法印は恐ろしくも哀れにも思われて汗だくになった
- `こんなときには、いかなる人でも言葉ひとつ返すのさえ難しい
- `その上、法印自身も法皇の側近として鹿が谷に寄り合っていたことを知られており
- `今この場で一味として捕らえられるかもしれない
- `と思っておられたので、龍のひげを撫で、虎の尾を踏む心地がしたが、静憲法印もなかなかの人物なので、少しも騒がず
- `たびたびの御奉公には並々ならぬものがおありだったでしょう
- `一度はお恨みになったのにも理由がおありでしょう
- `しかし官位といい、俸禄といい、貴殿にとってはすべて満足するものではありませんか
- `つまりそれは、その功績の大きさを法皇がお感じになっていたという証です
- `なのに
- `側近が秩序を乱し、法皇がお許しになった
- `と言われることこそ謀臣の凶害ではないでしょうか
- `耳を信じて目を疑うのは、俗人の悪い癖です
- `朝廷の恩も他人と違う貴殿が、つまらぬ者の戯れ言を重んじ、いまさらまた法皇に背こうとなさっているというのは、この世あの世にかかわらず恐ろしいことです
- `およそ天の心というのは蒼々と深くて測り難いもの、法皇のお考えもそれと同じでありましょう
- `臣下として君主に逆らうことは、人臣の礼を外れるものです
- `よくよくお考えください
- `ではこれより戻って貴殿の意見をお伝えすることにします
- `と言って立たれると、その座に控えていた人々は
- `すごいものだ
- `清盛入道があれほどお怒りだったのに少しも騒がず、返事をして帰られたぞ
- `と、静憲法印を褒めない人はいなかった