一六四八大臣流罪
現代語訳
- `静憲法印が院の御所へ戻って会見の様子を奏聞すると、清盛入道の道理ももっともなので、後白河法皇も仰せの言葉もなかった
- `同・十一月十六日、清盛入道は普段から思っておられたことだったので、太政大臣以下の公卿や殿上人四十三人を更迭し、追放された
- `中でも関白・藤原基房殿は太宰権帥に左遷し、九州へ流されたという
- `こんな世の中では、もうどうでもいい
- `と、鳥羽の辺りの古川というところで出家された
- `三十五歳であった
- `礼儀をわきまえ、曇りのない鏡のような方だったのに
- `と世間の人たちはとても惜しんだ
- `流罪の人が途中で出家したときには定められた国へは送らないことになっているので、初めは日向国であったが、出家により、備前国府付近の湯迫というところに流された
- `大臣流罪の例は、左大臣・蘇我赤兄、右大臣・藤原豊成、左大臣・藤原魚名、右大臣・菅原道真公は口するのもおそれ多い今の北野天神である
- `左大臣・源高明公、右大臣・藤原伊周公に至るまで、その例既に六人
- `しかし摂政・関白が流罪になったのはこれが初めてであるという
- `故中納言・藤原基実殿の御子・二位中将基通殿は清盛入道の婿であられるので、大臣関白に就けられた
- `円融院の時代、天禄三年十一月一日に一条摂政・藤原伊尹公が亡くなったとき、弟の堀川関白・藤原仲義公は当時まだ従二位中納言でいらした
- `その弟・法興院大入道兼家公は当時まだ大納言右大将にいらしたので、仲義公は弟君に位を飛び越されになった
- `今回また越え返し、内大臣正二位の地位に就いて内覧の職となられたので、人々は
- `驚くようなご昇進だ
- `と言い合ったものである
- `今回はそれさえも超えていた
- `非参議二位中将から大中納言を経ずに大臣関白に就かれたのは、普賢寺殿・藤原基通公が初めてである
- `上卿の宰相、大外記、大夫史に至るまで、皆あっけにとられてしまわれた
- `太政大臣・藤原師長殿は職を解かれて東国へ流されなさった
- `去る保元の乱では、師長殿は父の悪左大臣・藤原頼長殿に連座して、兄弟四人流罪となられた
- `兄・右大将兼長、弟・左中将隆長、範長禅師の三人は京へ帰る日を待たずして、配流先で亡くなった
- `彼らは土佐国幡多で九年の歳月を送り、長寛二年八月に召し返されて、元の地位に復帰された
- `翌年・永万元年八月には正二位となり、仁安元年十月には前中納言から権大納言に昇進された
- `そのときは大納言に欠員がなかったため、定員外で大納言に加わられた
- `大納言が六人となったのはこれが初めてである
- `また、前中納言から権大納言に昇進するのも、後山階大臣・藤原躬守公、宇治大納言・源隆国卿の他には例がない
- `管絃の道に長じ、才能・技芸に優れていらしたので、昇進が滞ったことはなく、太政大臣まで極められたのに、何の罪でまた流されることになったのか
- `保元の頃には南海の土佐国へ流され、治承の今はまた逢坂関の向こうの尾張国に流されたという
- `もとより罪もないのに配所の月を見るというのは風流人の願うところなので、師長殿はなんとも思っておられなかった
- `唐の太子の賓客・白楽天は潯陽江のほとりに佇み、いにしえを偲び、鳴海潟の海を遥かに眺め、普段は朗月を望み、浦吹く風にうそぶき、琵琶を弾き、和歌を詠んで、のびのびと月日を送られた
- `あるとき師長殿が、我が国第三の宮・尾張国の熱田明神に参詣され、その夜、神明法楽のために琵琶を弾いたり、朗詠したりなさったが、その辺りはもとより文化の程度が低いところだったので、風情を知る者はいなかった
- `村の老人、女、漁師、野良男たちなどが頭をうなだれ、耳耳をそばだてていたが、善し悪しや旋律がわかるわけではなかった
- `それでも、楚の瓠巴が琴を弾じれば魚が躍り上がり、魯の虞公が歌えば梁の塵も震えたという
- `ものが巧妙を極めると、自然に感動が起こるというとおり、人々は身の毛をよだたせ、皆不思議な気分になった
- `夜が更けるに及んで、風香調を琵琶で弾けば、花は芳香を漂わせ、流泉の曲の間には月が清明の光を注いだ
- `願わくは、現世の世俗の文字の業、狂言綺語で飾った罪をもって
- `という朗詠をして、秘曲を弾くと、神は感動に堪えず、宝殿が大きく震えた
- `平家の悪行がなく、ここに流されていなかったら、今頃こんなめでたい兆しを拝むことができただろうか
- `と、師長殿は感動して涙を流された
- `按察使大納言・源資方卿の子息である右近衛少将兼讃岐守・源資時は二つの職を解かれた
- `参議皇太后宮権大夫兼右兵衛督・藤原光能、大蔵卿右京大夫兼伊予守・高階康経、蔵人左少弁兼中宮権大進・藤原基親、三人も職を解かれた
- `中でも
- `按察使大納言・源資方卿、その子・右近衛少将資時、孫の右少将雅方、この三人を本日ただちに都から追放せよ
- `と、執行責任者の藤大納言・藤原実国、博士判官・中原範貞に仰せつけられ、彼らはその日のうちに都を追放された
- `資方殿は
- `世界広しといえども、たった五尺の我が身すら置き場がない
- `一生は短いといえども、一日を暮らすのさえ難しい
- `と、夜中に宮中を抜け出て、幾重にも重なる雲の向こうへと赴かれた
- `あの大江山やいくのの道を通り過ぎ、初めは丹波国村雲というところでしばらく過ごしておられた
- `しかし、ついに発見されて、信濃国へ送られたという