一七四九行隆沙汰
現代語訳
- `前関白松殿・藤原基房の侍に江大夫判官・大江遠成という者がいた
- `彼も平家によく思われておらず
- `六波羅に捕まるだろう
- `と言われていたので、子の江左衛門尉家成を連れて南を目指して落ち延びようとしたときのこと、稲荷山に登り、馬から下りると、父と子で
- `ここから東国の方へ落ち延び、流人・前兵衛佐・源頼朝殿を頼ろうと思うのだが、彼も今は帝から謹慎を受けている身だから、自分一人すら思うに任せないだろう
- `そのほかに日本中で平家の所領でない場所があろうか
- `長年住み慣れたところを人に見せるのも恥をさらすようだし
- `これから引き返して、六波羅から呼び出しがあったら館に火をかけて焼き払い、腹掻き切って死のう
- `と、瓦坂の屋敷へ引き返した
- `案の定、源大夫判官・飯富季貞、摂津判官・平盛澄ら甲冑で武装した兵三百余騎が瓦坂の屋敷へ押し寄せて鬨の声をどっと上げた
- `季貞は縁側に立ち、大声を張り上げて
- `おのおの方、六波羅でこの様子を語るがいい
- `と館に火をかけて焼き払い、父子共々、腹を掻き切って、炎の中で焼け死んだ
- `そもそも、このように人が滅んでいく理由は何かといえば、前関白・藤原基房殿の御子・三位中将師家殿と新しく関白になられた二位中将・藤原基通殿との中納言の地位争いが発端であったという
- `ならば、基房殿お一人だけがひどい目に遭われるべきところなのに、四十余人の人々も巻き添えを食らう道理があろうか
- `もっともこれだけで済むとは思えなかったが
- `清盛入道の心が天魔と入れ替わり、何事につけても腹を立てねば気が済まないのではないか
- `と言われるほどで、京中はまた騒ぎになった
- `去年、讃岐院への御追号があって崇徳天皇と号し、宇治悪左府・源頼長には贈官・贈位が行われたが、世の中はそれでも不穏であった
- `その頃、故中山中納言・藤原顕時卿の長男で前左少弁行隆卿という人がいた
- `二条院の時代には太政官の一員となった立派な人である
- `この十数年は職を停められて、夏冬の衣替えもできず、朝夕の食事にも困っておられた
- `すっかり世間に忘れ去られておられたときに、清盛入道が使者を送り
- `必ずお立ち寄りください
- `お話があります
- `と伝えられると、行隆は
- `この十数年は職も停められて、何事にも関わっていないのだから、きっと告げ口をして自分を殺そうとする者の仕業だ、
- `と、ひどく恐れ、うろたえられた
- `北の方をはじめ女房たちは、声々に嘆き悲しまれた
- `そのうち、清盛入道からしきりに使者が来るので、行隆は
- `とにかく出向かなければどうにもなるまい
- `と人に車を借りて赴くと、予想に反し、清盛入道がすぐに出会って対面し
- `そなたの父・藤原顕時殿とわしはいろんなことを語り合った間柄
- `その縁なので、そなたを決しておろそかにしようなどとは思っておりません
- `長年職もなく引きこもられているのを気の毒に思っておりましたが、後白河法皇が政務を執られていたのでどうすることもできませんでした
- `これからは、出仕ください
- `官職についてもなにかと取り計らいましょう
- `そういうことなので、急いでお帰りください
- `と帰されたので、屋敷では女房たちが、死んだ人が生き返ったような気持ちで、嬉し泣きをされた
- `その後、源大夫判官季貞に命じて、行隆の知行する荘園の権利書などをたくさん渡された
- `出仕に必要な物ということで、雑色、牛飼、牛車に至るまできちんと調えて与えられた
- `当座の生活に必要だろうと、絹百疋、金百両と米を積んで送られると、行隆はすっかり舞い上がってしまい
- `これは夢ではないのか
- `と驚かれた
- `同・十一月十七日、五位蔵人に任ぜられ、元の左少弁に戻された
- `今年五十一歳、いまさらのように若返られた
- `それは一時の栄華に見えた