一九五一城南離宮
現代語訳
- `あらゆる行いの中では孝行を第一とすべきである
- `名君は孝の心をもって天下を治める
- `という
- `ゆえに
- `伝説の帝、陶唐氏・尭は老い衰えた母を貴び、有虞氏・舜は頑固な父を敬った
- `と、いにしえの書にある
- `かの賢王・聖主の先例にならおうとされたんであろう、高倉天皇の御心は素晴らしい
- `その頃、内裏から鳥羽殿へ密通が届いた
- `このような世の中では、宮中に留まっていてもどうにもならないので、出家されたいにしえの帝を偲び、宇多天皇の跡を訪ね、花山天皇の跡を訪ねて、山林を流浪する行者になりたいと思います
- `と言われたので、後白河法皇が
- `そのようなことをお考えになってはなりません
- `そのようにしておられるからこそ、頼みにもしているのです
- `世をお捨てになったら、何を頼ればよいのですか
- `どうかこの老人の行末をお見届けください
- `と返事を記されると、高倉天皇はその手紙を両の眼に押し当てられ、涙を流された
- `君主は舟、臣下は水
- `水は舟を浮かべ、また舟を覆し、臣下は君主を支え、また君主を覆す
- `保元・平治の頃、清盛入道は君主を支えていたが、安元・治承の今は、君主をないがしろにしている
- `史書の文字のとおりである
- `大宮大相国・藤原伊通殿、三条内大臣・藤原公教殿、葉室大納言・藤原光頼殿、中山中納言・藤原顕時殿も亡くなった
- `今古老として残っているのは藤原成頼殿と藤原親範殿二人きりである
- `彼らも
- `こんな世では、朝廷に仕えて出世し、大・中納言となったところでどうなるものでもない
- `と、まだ働き盛りにもかかわらず、出家して世を逃れ、民部卿入道・藤原親範殿は大原の霜と暮らし、宰相入道・藤原成頼殿は高野山の霧の中に生き、ひたすら後世菩提を願うばかりであった
- `秦の時代、商山の雲に隠れ、頴川の月に心を澄ました人もあるというが、決して彼らは博学・高潔であるがゆえに世を逃れたわけではない
- `中でも高野山におられる宰相入道成頼殿は、都で起きていることを伝え聞かれて
- `ああ、早く世を逃れてよかった
- `このような身となって聞いても同じことだが、実際に交わり、この目で見ていたら、どれほどつらかっただろう
- `保元・平治の乱さえひどいものだと思っていたが、世も末になるとこのような異常なことも起きてくる
- `この先、天下にどんなことが起こるかわからない、雲をかき分けて登り、山を越えて逃れてしまいたい
- `と言われた
- `まったく、まともな人では留まっていられる世とも思えない
- `同・治承三年十一月二十三日、天台座主・覚快法親王が、しきりに座主を辞退なさるので、前座主・明雲大僧正が復職された
- `清盛入道はこのように好き放題のことをされていたが、中宮は自分の娘であるし、関白殿もまた聟なので、なんでもできると思っておられたのだろうか
- `政務はすべて天皇にお任せする
- `と言うと福原に帰られた
- `前右大将宗盛卿は、急いで参内してこの由奏聞すると、高倉天皇は
- `後白河法皇から譲り受けた世であればそうもしよう
- `摂政・関白と相談して、そちの好きなようにいたせ
- `と、お聞き入れにもならなかった
- `後白河法皇は城南の離宮で冬も半ばを過ごされており、藐姑射山の嵐の音だけが烈しく吹いて、寒々しい庭の月の光は冴え冴えとしていた
- `庭には雪が降り積っていたが、跡をつける人もなく、池には氷が幾重にも張って、群れなす鳥もいなくなった
- `勝光明院の鐘の音は、遺愛寺のそれかと耳を驚かせ、西山の雪の色は、香炉峰を思い浮かばせる
- `夜、霜が降りて寒々とした中で打たれる砧の響きが枕元にかすかに伝わり、明け方、氷を軋ませる車の轍が遠くの門前まで続いている
- `市中を往来する人や馬の忙しげな様子、憂き世を渡るありさまも思い浮かべられて哀れである
- `離宮の門番が、昼夜警備しているのも、前世のいかなる契りによって、今縁を結んでいるのだろうか
- `とありがたくも仰せになった
- `何事につけても御心を傷められないことはなかった
- `それにつけても、かつての御遊覧、折々の御参詣、祝賀の宴の楽しかったことなど、懐かしい頃を偲ばれては、涙をお流しになった
- `年は去り、年が来て、治承も四年になった