二六八新都
現代語訳
- `ところが、桓武天皇の時代・延暦三年十月三日、奈良の都・春日の里から山城国長岡に遷って十年目の一月、大納言の藤原小黒丸、参議左大弁の紀古佐美、大僧都の玄慶等を遣わしてその国の葛野郡宇多村を視察させたところ、口を揃えて
- `この地の様子を見ますと、左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後ろに玄武と、四神相応の地となっております
- `帝都を定めるに最も適しております
- `と奏聞した
- `それにより愛宕郡に御座す賀茂大明神にこの由をお告げになり、延暦十三年十一月二十三日、長岡京からこの京に遷され、帝王は三十二代、歳月は三百八十余年の春秋が巡った
- `それ以来、代々の帝がさまざまな地に多く都を遷されたが、これほど適した地はない
- `と、桓武天皇は特に執心され、大臣・公卿・諸道の優れた者たちに命じ、都が長久に続くようにと、土で八尺の人形を作り、鉄の鎧甲を着せ、同じく鉄の弓矢を持たせて
- `世の末とはいえども、この都を他の地に遷すようなことがあったときには守護神となろう
- `と誓いつつ、東山の峰に西向きに立てて埋められた
- `それゆえ天下に事変があると、この塚は必ず鳴動する
- `将軍塚として今もある
- `とりわけこの京を
- `平安城
- `と名づけ
- `平和で安泰な都
- `と書く
- `最も平家の崇めるべき都なのである
- `桓武天皇というのは平家の祖先であられる
- `先祖の君主がそれほどに思い入れられた都をたいした理由もなく別の地に遷されるとはあきれてしまう
- `かつて嵯峨天皇の時代、先帝の平城天皇が内侍・藤原薬子の勧めによってこの京を他国へ遷そうとなさったが、大臣や公卿、諸国の人々を裏切られたので、遷されることなくして終わった
- `一天の君や万乗の主でさえ遷し得なかった都を、清盛入道は人臣の身でありながら遷すとはひどい話である
- `京はなんと素晴らしい都であっただろうか
- `宮中を守護する鎮守の神々は四方に光を和らげ、霊験あらたか寺々は市中に軒を連ねている
- `世の民衆は思い煩うことなく、五畿七道も問題がない
- `しかし今はあちこちの辻を掘り切ったため、車などがたやすく行き交うことができず、偶然差しかかった人は輦車に乗り、回り道をして通った
- `軒を連ねていた人の住まいは日を追うごとに荒れてゆき、家々は賀茂川や桂川に壊して入れ、筏に組んで川に浮かべ、家財道具は舟に積み、福原へと運び下す
- `瞬く間に花の都が田舎になり果てる光景は実に悲しい
- `何者の仕業か、京の内裏の柱に二首の歌が書きつけられていた
- `百年を四回までも過ぎてきた、愛宕の里は荒れ果ててしまった
- `咲き出づる花の都を振り捨てて風ふくはらの末はあやしい
- `同・六月九日、新都造営の事始めを行うとのことで、政務指揮には徳大寺左大将実定卿、土御門宰相中将通親卿、奉行には蔵人左少弁行隆、多くの役人たちを召し連れて、摂津国和多の松原の西の野を基点とし、九条の区画に割られると、一条から五条までは土地はあるが、五条から下は土地がなかった
- `工事責任者の経房と行隆両名は帰ってこの旨を報告した
- `ならば播磨の印南野か、それとも摂津国の昆屋野か
- `など公卿たちは評議したが、うまくいきそうには見えなかった
- `京は既に去ってしまい、新都はいまだ手もついていない
- `ありとあらゆる人は皆浮き雲のような気持ちになり、もともとこの地に住む者は土地を失って憂え、新しく遷ってきた人は土建の煩わしさ嘆き合った
- `なにもかもがただ夢のような出来事である
- `宰相中将・土御門通親卿の意見で
- `異国では三条の大路を開いて十二の洞門を建てると聞いている
- `ましてや五条まであろう都に、どうして内裏を造営なさらないのか
- `とにかくまず里内裏を造るべきだ
- `と評議で決まり、五条大納言国綱卿が臨時に周防国を賜って、造営するよう清盛入道が取り計らわれた
- `この国綱卿というのは大富豪であったので内裏の造営などわけもないことだが、かといって国の負担や民の苦労を伴わないわけにはいかない
- `当面の天下の重要事である大嘗会などの催しを差し置いて、こう世が乱れているさなかに遷都や内裏造営を行うなど、よいことでは決してない
- `昔の賢王の時代には、内裏には茨を葺き、軒先さえ揃えたりもしなかった
- `民家の炊き出しの煙が乏しいのをご覧になったときには、定められた貢物さえ免された
- `これはとりもなおさず民を慈しみ、国をよい方向に導き支えるためである
- `楚の霊王は章花台なる豪奢な宮殿を建てて万民を散らし、秦の始皇帝は阿房宮を造営して天下が乱れたという
- `茅葺きは切り揃えず、柱や垂木は削らず、舟や車は飾らず、衣服には文様のなかった時代もあったというのに
- `それゆえ
- `唐の太宗は驪山宮を造営して民の負担を憚られてか、ついにそこに赴き臨まれることもなく、瓦に松が生え、垣根に蔦が茂って中止になったのとは大違いだ
- `と人々は言った