五七一早馬
現代語訳
- `さて同・九月二日、相摸国の住人・大庭三郎景親が福原へ早馬を駆って
- `去る八月十七日、伊豆国の流人・前右兵衛佐源頼朝は舅の北条四郎時政を遣わし、伊豆国の目代・和泉判官兼高を八牧の館に夜襲をかけ、討ち取られました
- `その後、土肥次郎実平、土屋弥三郎宗遠、岡崎四郎義実をはじめとした三百余騎が石橋山に立てこもっているところに、大庭三郎景親が、味方に志を寄せる者ども一千余騎を率いて押し寄せて攻めると、兵衛佐は僅かに七八騎にまで討たれ、ざんばら髪になって戦い、土肥の杉山へ逃げ込みました
- `畠山次郎重忠が五百余騎で味方についております
- `三浦大介義明の子たちが三百余騎で源氏方に付き、由比が浜・小坪の浦で戦っております
- `畠山軍に負けて武蔵国へ撤退しました
- `その後、畠山の一族である河越小太郎重頼、稲毛三郎重成、小山田別当有重、江戸太郎重長、葛西三郎重清、合わせて七党の兵が残らず蜂起、総勢三千余騎が三浦・衣笠の城に押し寄せて一昼夜攻撃を仕掛けますと、三浦大介義明が討たれました
- `その子らは皆九里浜浦から船に乗り、安房・上総へ渡られました
- `と報告した