二八三紅葉
現代語訳
- `人望があるという点においては、醍醐天皇や村上天皇といえども、おそらく高倉上皇には勝っておられなかっただろう
- `と人々は言った
- `賢王との評判が高く、仁徳のある行いをなさる帝でも、成人され、世の清濁を理解されてからのことなのに、高倉上皇はまだ幼い時分から柔和であられた
- `去る承安の頃、即位されてまもなく、御年十歳ほどになられたであろうか、紅葉をとても愛でられ、北の陣に小山を築かせられ、色鮮やかに紅葉した櫨や楓を植えさせられ、紅葉の山と名づけて一日中ご覧になってたが、それでもお飽きにならなかった
- `しかしある夜、烈しい風が吹き、紅葉をすべて吹き散らし、すっかり葉が落ちてしまった
- `主殿寮の下人が朝の掃除をしようとこれをすっかり掃き捨てた
- `残った枝や散った木の葉をかき集め、風のすさまじい朝だったので、縫殿の陣で、酒を温めるための薪にした
- `奉行蔵人が、上皇がいらっしゃる前にと急いで行ってみると、もう跡形もない
- `どうした
- `と問うと、しかじかと答えた
- `なんということだ
- `あれほど帝がご執心であった紅葉をこんなにしてしまうとは
- `知らんぞ、おまえたち、投獄・流罪にされ、私もどんな逆鱗に触れることか
- `と、何かいい手はないかと案じていたところに、高倉天皇が普段より早く寝所をお出になって、すぐ紅葉の山に行かれ、紅葉をご覧になると、なくなっていたので
- `どうした
- `とお尋ねになった
- `蔵人はなんと答えてよいやらわからなかった
- `ありのままに奏聞した
- `すると高倉天皇はご気分良さげに微笑まれ
- ``林間に酒を暖めて紅葉を焼く
- `という詩の心を、誰がこの者たちに教えたのか
- `風流なことをしたな
- `と却って感心され、お叱りすらなかった
- `また安元の頃、方違えのための行幸があり、ただでさえ朝を知らせる役人の声が眠りを妨げるので、いつもお寝覚めがちで少しもお休みになれない
- `ましてや、霜が降り、冴え冴えとして厳しい夜には、醍醐天皇が
- `国の民はどれほど寒い思いをしているだろう
- `と、寝所で衣をお脱ぎになったことなどを思い出され、ご自身はがまだ徳の至らないことをお嘆きになった
- `夜も更けた頃、遠くで人の叫ぶ声がした
- `お供の人々は聞こえなかったが、高倉天皇はお聞きになり
- `今叫んだのは何者だ
- `見てまいれ
- `と仰せられると、宿直の蔵人が当番の滝口に命じ、駆けつけ尋ねてみたところ、ある辻で、長持の蓋を提げた賤しい女童が泣いていた
- `どうした
- `と問うと
- `ご主人様の女房が、後白河法皇の御所にお仕えしておりましたが、このほどやっと仕立て上がった衣を持って参ったところ、たった今男が二・三人やって来て奪っていったのです
- `御装束があればこそ御所へも参れます
- `また、頼って宿を取れるような親しい方もおりません
- `それで泣いていたのです
- `と言った
- `そこで、その女童を連れ帰り、この由を奏聞すると、高倉天皇がお聞きになり
- `なんとかわいそうに
- `何者の仕業だろう
- `と言っておそれ多くも両の眼より涙をお流しになった
- `陶唐氏・尭の時代は、尭の心が素直であることを是としたので、民もまた素直であった
- `今の代の民は朕の心をもって心とするがゆえにひねくれ者が我が国にいて罪を犯す
- `これは朕の恥に他ならない
- `と仰せになった
- `ところで、取られた衣は何色か
- `とお尋ねになると
- `しかじかの色
- `と奏聞した
- `建礼門院がまだ中宮であられたときのことである
- `中宮に
- `そのような色をした衣はあるか
- `とお尋ねになると、先のよりはるかに色美しい衣が出されたので、それを女童にお与えになった
- `まだ夜も深いし、また同じ目に遭うかもしれぬ
- `と、おそれ多くも当番の滝口を数多つけて主人である女房の局まで送り届けるよう命じられた
- `それゆえ、身分の低い男女まで、この君の千年万年の長寿を祈った