五八六廻文
現代語訳
- `清盛入道は、このようにひどく無情な処置をしたことを、さすがに恐ろしく思ったのか、安芸厳島の内侍との間に生まれた十七歳の姫君を後白河法皇に差し出された
- `平家や他家の公卿が大勢お供して、まるで女御の入内のようであった
- `高倉上皇がお隠れになってまだ十四日も過ぎていないのに、よからぬことだ
- `と人々は内々ささやき合った
- `さてその頃、信濃国に木曽冠者義仲という源氏がいるという噂があった
- `彼は故六条判官・源為義の次男、故帯刀先生義賢の子である
- `父・義賢は去る久寿二年八月十二日、頼朝の兄・鎌倉の悪源太義平に殺された
- `当時二歳であった義仲を、母が抱えて泣く泣く信濃へ逃れ、木曽中三権守・中原兼遠のもとへ行き
- `この子をなんとしても育てて、立派な人間にしてください
- `と言うと、兼遠はしっかり引き受け、二十余年の間養育した
- `成長するに従って、力は人並み以上に強く、精神も無双の勇者となった
- `馬上戦でも白兵戦でも、弓矢・太刀を取れば、上古の坂上田村麻呂、藤原利仁、余五将軍・平維茂、平致頼、藤原保昌、先祖の源頼光、義家朝臣といえども彼には敵わないだろう
- `と人々は言った
- `義仲殿はあるとき、養父の兼遠を呼んで
- `兵衛佐頼朝は、関東八か国を討ち従えて東海道より攻め上り、平家を追い落そうとしていると聞いております
- `私も東山・北陸両道を従えて、一日も早く平家を滅ぼして、言うなれば日本国に二人の将軍と呼ばれたい
- `とほのめかすと、兼遠はおおいにかしこまり喜んで
- `そのために、そなたをこの二十余年養育して参ったのです
- `そう仰せらてこそ八幡殿の御子孫というものです
- `と、すぐに謀反を企てた
- `普段は守役の兼遠に連れられて都へ上り、平家の人々のふるまう様子をうかがっていた
- `十三歳で元服したときも、まず石清水八幡宮へ参詣して夜通し祈願し
- `我が四代の祖父・義家朝臣は八幡大菩薩の御子となって、八幡太郎義家と号した
- `まずその例にならおう
- `と神前ですぐに髻を結い
- `木曽次郎義仲
- `と名乗った
- `兼遠は
- `まず回状を出しましょう
- `と言い、信濃国では、根井小弥太、滋野行親を誘うと、背くことなく味方になった
- `これを皮切りに、信濃一国の兵たちは皆追従した
- `上野国では、田子郡の兵たちや、父・義賢が懇意にしていた者たちは皆追従した
- `平家の世も末になる折を得て、源氏はかねてからの素懐を遂げようとしていた