一二九三喘涸声
現代語訳
- `さて、越後国の住人・城太郎・平助長が越後守に任ぜられた
- `朝廷からの恩賞をありがたく思い、木曽義仲追討をするため、三万余騎で信濃国へ発向した
- `六月十五日に門を出て、まさに発向という日の夜更け、にわかに空がかき曇り、雷がおびただしく鳴って大雨が降り、天が晴れると、虚空にしわがれた大きな声で
- `南閻浮提の金銅十六丈の盧遮那仏を焼き滅ぼした平家の味方をする者がここにいるぞ
- `それ、召し捕れ
- `と三声叫んで過ぎていった
- `城太郎助長をはじめとして、これを聞く兵どもは皆身の毛がよだった
- `郎等どもは
- `これほど恐ろしい天のお告げがありますから、発向をお止めください
- `と言ったが
- `武人たる者がそのようなことに動じてどうする
- `と、城を出てわずか十余町ほど進んだ
- `すると一叢の黒雲が湧き上がり、助長の頭上からを覆うように見えた
- `たちまち体はすくんで、気がぼんやりして馬から落ちてしまった
- `輿に担がれて館へ帰り、三時ほど臥せっていると、ついに死んでしまった
- `飛脚を遣って都へこの由を伝えると、平家の人々はおおいに恐れ騒がれた
- `同・七月十四日、改元があって養和となった
- `その日除目が行われ、筑後守・平貞能が肥後守となり、筑前・肥後両国を賜って、九州の謀反を征伐するのに西国へ発向した
- `またその日は、特別の大赦も行われて、去る治承三年に流された人々が皆都へ召し返された
- `松殿入道・藤原基房殿が備前国から戻られた
- `妙音院太政大臣・藤原師長殿が尾張国から上洛された
- `按察使大納言・藤原資方殿は信濃国から京へ戻られたということであった
- `同・二十八日、妙音院・藤原師長殿が院の御所へ参内された
- `去る長寛の帰洛のときには、御前の簀子において賀王恩や還城楽を弾かれたが、今回の養和の帰洛では、仙洞御所において秋風楽を奏でられた
- `いずれも風情と時節を合わせられた心遣いが見事であった
- `按察使大納言資方殿もその日院参された
- `後白河法皇は
- `なんとなんと、まるで夢を見ているようだ
- `慣れな田舎暮らしをして、歌なども今はすっかり忘れたかとは思うが、まず今様ひとつ聴きたいものだ
- `と言われると、資方殿が拍子をとって
- `信濃にあるという木曽路川
- `という今様を、実際にご覧になったので
- `信濃にあった木曽路川
- `と歌われたことが時に合っていると人々は褒めた