一〇一〇四木曾山門牒状
現代語訳
- `さて、木曽義仲殿は越前の国府に到着し、家子・郎等を召集して評議した
- `おれは近江国を通って上洛しようと考えているのだが、例の延暦寺の僧どもに妨害されるかもしれん
- `蹴散らして突破するのはたやすいのだが、今は、平家が仏法をないがしろにし、寺を滅ぼ僧を殺すなど、悪行三昧だ
- `それを守るために上洛しようとしているおれが平家と同じことをしては、延暦寺の大衆と合戦するのと変わらず、二の舞になるだけだ
- `そこが簡単そうで難しいところだ
- `どうしたものか
- `と言われると、書記として同行している大夫坊覚明が進み出て
- `延暦寺の衆徒は三千人いますが、必ずしも一枚岩ではありません
- `中には、平家に味方すると言っている者もおりましょう
- `あるいは、源氏方につこうと言っている者もおりましょう
- `牒状を送ってみてはいかがでしょうか
- `返牒を読めば、そのあたりがうかがえると思います
- `と言うと、義仲殿は
- `もっともだ
- `では書け
- `と、覚明に牒状を書かせて延暦寺へ送られた
- `その状に曰く
- ``義仲がよくよく平家の悪逆非道を見るに、保元・平治の乱以来、長く人臣としての礼を失っております
- ``にもかかわらず、身分を問わず服従し、僧も俗人も足下にひれ伏しています
- ``皇位までもほしいままに操り、飽きるまで国郡を掠めて領地としています
- ``道理非理を無視し、権門勢家を追捕し、有罪無罪を構わず、貴人やその臣下まで損害を与えています
- ``その財産を奪い取り、残さず平家の郎従に与え、その荘園を没収しては、無秩序に子孫に分け与えています
- ``とりわけ、去る治承三年十一月、後白河法皇を城南の鳥羽離宮に軟禁し、関白藤原基房殿を西海の僻地・太宰府に流し奉りました
- ``庶民はなにも言えず、道ばたで目配せするくらいです
- ``そればかりか、同・四年五月には、第二皇子・以仁王の御所を取り囲み、朝廷を驚かせました
- ``そのため以仁王は、理不尽な迫害から逃れるために、密かに三井寺へお入りになったとき、義仲は既に令旨を賜っており、駆けつけようとしたところ、怨敵が巷に満ちて、参戦の機会を失ったのです
- ``付近の源氏ですら参れなかったのに、ましてや遠い木曽ではなおさらです
- ``ところが三井寺は支援する力がなく、以仁王を奈良・興福寺へお移しさせようとしたところ、宇治橋で合戦となりました
- ``大将三位入道・源頼政父子は、義を重んじ命を捨てて、奮闘したが、多勢に無勢でした
- ``亡骸を宇治川の苔に晒し、生命をその水に流しました
- ``令旨を肝に銘じ、同族・源頼政公の死に胸を痛めております
- ``そうしたことから東国・北国の源氏らは各自上洛を企て、平家を滅ぼそうと考えております
- ``義仲が去る年の秋、かねてよりの志を遂げるため、旗を揚げ剣を取って信州を発った日、平家は越後国の住人・城四郎長茂に数万の軍兵を与えて発向させたことから、信濃国横田河原で合戦となりました
- ``義仲はわずかに三千余騎で、かの数万の兵を撃破しました
- ``その噂は都まで届き、平氏の大将は十万の軍勢を率いて北陸に発向しました
- ``越前・越中国、加賀国、砥浪、黒坂、塩坂、篠原以下の城郭において数度合戦しました
- ``戦略を本陣内部で練り、至近距離で勝利しました
- ``そのように、討てば必ず屈伏し、攻めれば必ず降伏します
- ``秋の風が芭蕉の葉を破るがごとくであります
- ``冬の霜が木々の葉を枯らすに等しい
- ``これはひとえに神明仏陀の御加護によるものです
- ``まったく義仲の武略ではありません
- ``平家が敗北したからには、我らは上洛しようと思います
- ``今比叡山の麓を過ぎて、京の都に入るところにおります
- ``この時に当たり、密かに疑い危ぶんでいることがあります
- ``そもそも天台の衆徒は平家の味方なのか、源氏の味方なのか
- ``もしあの悪徒・平家方に立つのなら、我らは宗徒と戦わねばなりません
- ``もし合戦となれば、延暦寺の滅亡は免れないでしょう
- ``平氏は帝の御心を悩まし、仏法を滅ぼそうとしているので、悪逆征伐のために義兵を起こしたが、突如三千の衆徒に向かって、不慮の合戦しなければならないのは悲しいことです
- ``延暦寺の薬師如来・日吉神社に遠慮し奉り、進軍が遅れては、朝廷に怠る臣として、長く武門の家名に傷がつき、不名誉を残すことになるのは痛ましいことです
- ``進退に迷ったので、あらかじめ事情を伺いました
- ``願わくは、三千の衆徒が、神のため仏のため、国のため帝のため、源氏に味方して、凶徒・平家を懲らしめ、朝廷の善政の恩恵に与れることです
- ``ここに誠意を尽くして願います
- ``義仲、謹んで申し上げます
- ``寿永二年六月十日
- ``源義仲
- ``進上
- ``恵光坊律師御房へ
- `と記された