一二一〇六平家山門連署
現代語訳
- `平家はこんなことがあったとは夢にも思っておられない
- `興福寺と三井寺は鬱憤を溜めているときだから、誘っても決してなびくまい
- `平家は延暦寺に対してまだ恨みを持っていない
- `また延暦寺が平家のために不忠するとも思えない
- `ここはひとつ、山王大師に祈願して、三千の衆徒を味方に引き入れよう
- `と、願書を書き、一門の公卿十人同心連署して延暦寺へ送られた
- `その願書に曰く
- ``敬って申す
- ``延暦寺を平家の氏寺に準じ、日吉神社を平家の氏社として、ひたすら天台の仏法を仰ぐつもりであること
- ``これは平家一族の者が、特に祈願することであります
- ``その理由ですが、比叡山はこれ桓武天皇の時代、伝教大師・最澄が入唐・帰国してから、大日如来の教えを我が国に広め、廬舎那仏の教えを延暦寺に伝えて以来、仏法繁栄の霊地として、長く国家鎮護の道場の役割を果たして参りました
- ``今まさに伊豆国の流人・源頼朝がその咎を悔いるどころか、朝廷の掟をあざ笑っております
- ``それのみならず、その奸謀に賛同して加わる源氏ども、義仲、行家以下徒党を組む者が数多おります
- ``近隣から遠くまで数多の国々を掠領し、貢ぎ物から産物にいたるまで横領しております
- ``そのため、代々勲功の例にならい、あるいは現在の弓馬の腕前を用いて、すみやかに賊徒を追討し、凶党を降伏させるべく、身分不相応ながら勅命を受けて何度も討伐を企てました
- ``そのとき魚鱗・鶴翼の陣を敷いたものの、官軍は有利にならず、勝れた計略と先制の勢いで戦いましたが、逆賊は勢いに乗っておりました
- ``今、神明仏陀のご加護がなかったら、どうやって反逆の凶乱を鎮圧できるでしょうか
- ``言うまでもなく我らが先祖を思えば、おそれ多くも延暦寺を創建した桓武天皇の子孫であります
- ``いよいよ崇重すべきです
- ``いよいよ恭敬すべきです
- ``今後、延暦寺に喜ばしいことがあれば平家一門の喜びとし、日吉神社に憤ることがあれば平家の憤りとして、各自子孫に伝えていつまでも忘れないようにいたします
- ``藤原氏は春日大社と興福寺をもって氏社・氏寺とし、長く法相宗宗に帰依しております
- ``平家は日吉神社、延暦寺をもって氏社・氏寺とし、目下ありがたい教えを信心します
- ``藤原氏は伝統に則ります
- ``そして一門の繁栄を願います
- ``平家は現在の祈願です
- ``朝廷のための追討を祈願します
- ``伏して願わくは、山王七社とその末社、比叡山東西の嶺を満たす仏法守護の菩薩衆、日光菩薩・月光菩薩・薬師如来、無二の誠意を照らし、唯一の神の感応をお与えください
- ``そうすればすぐにも邪謀逆臣の賊は、帝の前にその手を束ねられ、暴逆残害の輩は、その首を京の土に届けられましょう
- ``よって平家の公卿らは異口同音に礼をして、このように祈願します
- `従三位行兼越前守・平朝臣通盛
- `従三位行兼右近衛中将・平朝臣資盛
- `正三位行右近衛中将兼伊予守・平朝臣維盛
- `正三位行左近衛権中将兼播磨守・平朝臣重衡
- `正三位行右衛門督兼近江遠江守・平朝臣清宗
- `参議正三位皇太后宮権大夫兼修理大夫加賀越中守・平朝臣経盛
- `従二位行中納言兼征夷大将軍右兵衛督・平朝臣知盛
- `従二位行権中納言兼肥前守・平朝臣教盛
- `正二位行権大納言兼陸奥出羽按察使・平朝臣頼盛
- `従一位前内大臣・平朝臣宗盛
- `寿永二年七月五日
- `敬白
- `と記された
- `延暦寺の天台座主・明雲僧正はこれを憐れまれ、すぐには誰にもお見せにならなかった
- `十禅寺権現の社壇に三日こもり、その後大衆に見せられた
- `初めはなかったはずの願書の表紙に、歌が一首書かれていた
- `平らかに花咲く宿も年経れば、西へ傾く月のように見える
- `山王大師はこれを憐れまれ
- `三千の衆徒、力を合わせよ
- `と言った
- `しかし、昨今の平家のふるまいは、神の御心にも逆らい、人望にも背いているので、祈っても叶わず、誘ってもなびかなかった
- `大衆も
- `本当にそうだ
- `と事情を憐れみはしたが、既に源氏と力を合わせる由の返牒を送ってしまった以上、今また軽々しくそれを翻すことはできないため、これを受け入れる衆徒もいなかった