二〇一一四福原落
現代語訳
- `平家は、小松三位中将維盛殿のほかは大臣殿以下妻子を連れておられたが、身分の低いの人々はそんなに連れて行くこともできないので、その後いつ会えるかもわからないまま、皆置き去りにして落ち延びた
- `人は、いずれの日、いずれの時、必ず戻ってくると約束しても、その日が来るのは長いものである
- `ましてや今回は今日が最後の今生の別れなので、行く者も残る者も互いに袖の涙を絞った
- `先祖代々の親交や、長年の恩義をどうしても忘れることはできないので、老い若きも皆後ろばかり振り返り、前へは少しも進まなかった
- `ある者は磯辺の波を枕にし、遥かな海路で日を暮らし、ある者は遠い野原をかき分け、険しい山を乗り越え、馬に鞭打つ人もあり、舟に棹さす者もあり、思い思いの心で落ちていった
- `平家は福原の旧都に着くと、宗盛殿や主立った侍・老少数百人を召し
- `積もった善行の恩恵が平家には尽き、積もった悪行の応報は身に及び、神にも見放され、後白河法皇にも捨てられて、帝都を出て旅泊に漂うことになり、頼るべきものを失ってしまったが、一樹の陰に宿るのも前世の契りが深く、同じ流れの水をすくうのも前世の縁が深かったからだ
- `ましてやお前たちは一時的に従った者たちではなく、先祖代々平家に仕えてきた者たちだ
- `親類として親交を持ち、他の者と違う者もいるし、代々の恩が深い者もいる
- `一門が繁栄していた昔は、当家からの恩恵によって生計を立てていた
- `どうして今はその恩に酬わなくてよいことがあろうか
- `ゆえに、十善の天皇が三種神器を携えておられる以上、どのような野のはずれや山の奥まででも行幸のお供をし、どうにでもなろうではないか
- `と言われると、老いも若きも皆涙をこらえて
- `とるにたりない鳥獣も、恩に報い、徳を酬う心を持っている
- `ましてや人として、その道理のわからないはずがない
- `とりわけ武門の者であれば、二心を持つのを恥とする
- `ましてやこの二十余年の間、妻子を養い、家来の面倒を見ることも、そのまま帝の御恩でなかったことはない
- `だから我が国以外でも、新羅、百済、高麗、契丹、雲の果て海の果てまでも行幸のお供をし、どうにでもなろうではないか
- `と異口同音に言うと、人々は皆頼もしげに見られた
- `平家は福原の旧都で一夜を明かされた
- `ちょうど秋の月は下弦の頃であった
- `空虚で静かな夜は更けてゆき、旅寝の床の草枕は、露に濡れ涙に濡れてただただ悲しい
- `いつ帰れるともわからず、亡き清盛入道の造られた所々を見られると、春は花見をした岡の御所、秋は月見をした浜の御所、泉殿、松陰殿、馬場殿、二階桟敷殿、雪見御所、萱御所、人々の屋敷、五条大納言国綱殿が承って造営された里内裏、おしどりの姿をした瓦、玉を敷き詰めたような石畳、どれもこれも三年ほどで荒れ果てて、苔がすっかり道を塞ぎ、秋の草が門を閉ざしている
- `瓦には松が生え、垣根には蔦が茂っている
- `高殿は傾いて苔生し、松風ばかりが吹き抜ける
- `簾は朽ちて寝所はあらわになり、月影だけが差し込んでいる
- `夜が明けると、福原の内裏に火を放ち、安徳天皇をはじめ人々は皆舟に乗られた
- `京を出たときほどではなくとも、これも名残は惜しいものだった
- `海士が藻塩を焼く夕煙、尾上の鹿が暁に鳴く声、渚々に寄せる波の音、袖にかかる月影、千草に集まり鳴くこおろぎ、目に見え、耳に聞こえるもののすべてに哀愁を感じ、心を痛めないときがない
- `昨日は逢坂関の麓に十万余騎の轡を並べ、今日は西海の波の上に艫綱を解いて七千余人、雲の垂れ込めた海はひっそりとして青天は既に暮れようとしている
- `夕霧が孤島を隠し、月は海上に浮かんでいる
- `遠い海の波を分け、潮に引かれて行く舟は、中空の雲に向かって遡っていく
- `日数を重ねれば、都はもう山や川に隔てられ雲の彼方となってしまった
- `はるばる来たな
- `と思うにも、ただ尽きせぬ物は涙ばかりである
- `波の上に白い鳥の群れるのを見られては
- `在原業平が隅田川でものを尋ねた、名も睦まじい都鳥とはあれだろうか
- `など思う心が哀れであった
- `寿永二年七月二十五日、平家は都を落ち果てた