三一一七緒環

現代語訳

`平家は筑紫でこの由を伝え聞かれ
`ああ三宮も四宮をお連れして下ればよかった
`と言い合われると、平大納言時忠殿は
`そんなことをしたところで、高倉上皇の御子である宮を守役の讃岐守重秀がご出家させ、北国へ一緒に落ち下ったのを、木曽義仲が上洛の際、主君に仰ごうと出家させ奉り、京へお連れしてしているから、位にお即けするに違いない
`出家された宮を即位させることなどできまい
`と言われると、時忠殿は
`そうとも限らない
`出家した国王の例が異国にあるようだ
`我が国においても、天武天皇がまだ皇太子でいらしたとき、大友皇子に襲撃を受けられ、鬢髪を剃り、吉野の奥へ逃げこもられて、大友皇子を滅ぼし、ついに即位された
`また孝謙天皇も、大菩提心を発されて、御飾を下ろし、御名を
`法基尼
`とされたが、二度即位し、称徳天皇となられた
`ましてや木曽義仲が主君と奉って出家された宮ならば、差し支えないだろう
`と言われた

`同・九月三日、伊勢に公卿の勅使を立てられた
`勅使は参議・藤原脩範であったという
`出家された天皇が伊勢に公卿の勅使を立てられることは、朱雀、白河、鳥羽三代に前例があるとはいえ、これらはみな出家される前のことである
`出家されてから例はこれが初めてとのことである

`平家は筑紫に都を定め、内裏を造営しようと公卿の評議があったが、都もまだ定まらず、安徳天皇はその頃、岩戸の小卿・大蔵種直の宿所にいらした
`人々の家々は野の中や田の中にあったので、麻の衣を砧で打ちはしないが
`といちの里
`とも言えよう
`内裏は山の中なので、中大兄皇子の筑紫の御殿であった木の丸殿もこんなふうであったかと思われ、却って優雅な面もあった

`ただちに宇佐神宮へ行幸する
`大宮司公道の宿所を皇居とする
`神殿が公卿や殿上人らの住まいとなった
`回廊は五位・六位の官人、庭は四国・九州の兵たちが武装して雲霞のごとく集まっていた
`古びた朱塗りの玉垣が再び色を取り戻したように見えた
`七日、参籠の明け方、宗盛殿に対し、夢のお告げがあった
`御宝殿の戸を押し開き、実に気高げな声で
`世の中の、うさには神もないけれど、何を祈るのか心つくしに
`宗盛殿は驚き、動悸がして、あさましさに
`そのうちにと、思う心も虫の音も、弱り果ててしまった秋の暮れかな
`という古歌を心細げにつぶやかれた

`さて、安徳天皇は大宰府にお帰りになった

`九月十日余りになった
`荻の葉を翻す夕嵐が吹き、一人着物のまま寝ている床の上、敷いた片方の袖もよれ、深けゆく秋の哀愁は、どこも同じとはいうものの、旅の空では忍び難い
`九月十三夜は名月と言われているが、その夜は、都を思い出される涙に、自ら曇らせてはっきり見えない
`宮中で、月を眺めつつ思いを詠んだことなども、たった今のように思われて、薩摩守忠度殿は
`月を見た去年の今宵の友のみが、都で我を思い出しているだろう
`修理大夫経盛殿
`恋しいよ、去年の今宵に一晩中、契り合った人が思い出されて
`皇后宮亮経正殿
`踏み分けてきた野辺の露とも消ないで、思いもかけず里の月を見る

`豊後国は刑部卿三位・藤原頼資殿の領地である
`子息・頼経殿を代官に任じたが、京から頼経殿のところへ
`平家は既に神にも見放され、後白河法皇にも見捨てられて、京を出て、波の上に漂う落人となった
`にもかかわらず、九州の者たちが引き受けてもてなしているとはけしからん
`豊後国にでは従ってはならない、全員一致して、九州から追放するように
`と言い送られてきたので、これを緒方三郎維義に命じた
`その維義というのは恐ろしい者の子孫である

`昔、豊後国の片山里に女がいた
`夫もいないある一人娘のところへ、ある男が夜な夜な通い、年月が経つうち、女は身ごもった
`母親がこれを怪しみ
`おまえのところへ通っているのは何者か
`と尋ねると
`来るところは見るけれども、帰るところを見たことがありません
`と言う
`では朝帰ろうとするとき、印をつけてみなさい
`と教えた

`娘は母の教えに従い、男が朝帰ろうとするとき、水色の狩衣の襟に
`しずのおだまき
`というものを付けて、糸を頼りに男の行方をたどると、豊後国と日向国の境、優婆嶽という高い山の裾にある大きな岩屋の内へとつながっていた

`女が岩屋の入口に佇んで耳を澄ますと、大きな声で唸っているので
`お姿を見たくて、私はここまでやって来ました
`と言うと
`おれは今、人の姿をしていない
`おまえがおれの姿を見たら、気を失ってしまうぞ
`身ごもったのは、男の子だろう
`弓矢や太刀を持たせれば、九州・壱岐・対馬に並ぶ者のない男になる
`と教えた

`女が重ねて
`たとえどのような姿でも、日頃のよしみをどうして忘れられましょう
`姿を見せてください
`と言うと
`そう言うなら
`と、岩屋の内から、とぐろを巻いた姿は五六尺ほど、伸びれば十四・五丈もあろうかと思える大蛇が、体をうねらせて這い出てきた
`女は気を失いそうになり、連れてきた十余人の従者たちは絶叫して逃げてしまった
`襟に刺したと思った針は、大蛇の喉笛に突き立てていたのだった

`女が帰ってほどなく産んだ子は男子であった
`母方の祖父が
`育ててみよう
`と育てたところ、まだ十歳にも満たないのに、背は高く、顔も長かった
`七歳で元服させ、母方の祖父を
`大太夫
`というので、この子に
`大太
`と名づけた
`夏も冬も手足にはびっしりとあかぎれができて、ひび割れていたいので
`あかぎれ大太
`と言った

`かの維義は、この大太の五代の孫にあたる
`恐ろしい者の子孫だからか、国司の仰せを院宣であるとして、九州・壱岐・対馬に回覧状を回すと、有力な者たちは皆維義に従った
`その大蛇は日向国において崇められ、今、高千穂の明神の神体であるという