一一九征夷大将軍院宣

現代語訳

  1. `さて、鎌倉前右兵衛佐・源頼朝殿は、鎌倉に居ながらにして征夷大将軍の院宣を受けられた
  2. `使者は左史生・中原泰定であったという
  1. `十月十四日関東に到着、頼朝殿は
  2. `そもそもおれは、武勇の名誉を認められて、居ながらにして征夷将軍の院宣をいただいた
  3. `ならば我が屋敷でお受けするわけにはいかない
  4. `若宮の拝殿でお受けしよう
  5. `と若宮に参り向かわれた
  1. `八幡は鶴岡に建っている
  2. `地形は石清水八幡宮と違わず、回廊があり、楼門があり、由比が浜まで延びる十余町の道が見下ろす
  1. `そもそも誰が院宣をお受けすべきなのか
  2. `と評議があった
  3. `三浦介義澄がよかろう
  4. `理由は、関東八か国に知れ渡る武者・三浦平太郎為嗣の子孫だからだ
  5. `しかも、父・大介義明も君のため命を捨てた兵だし、その義明の黄泉の闇を照らすためであるとも聞いている
  1. `院宣の使者・泰定は、家子・郎等を十人連れていた
  2. `義澄も家子二人・郎等十人を連れていた
  3. `二人の家子は和田三郎宗実と比企藤四郎能員であった
  4. `郎等十人は、付近在住の大名が急遽一人ずつ用意したものである
  5. `義澄のその日の装束は、褐の直垂に黒糸威の鎧を着、黒漆の太刀を佩き、二十四筋差した切斑の矢を背負い、滋籐の弓を脇に挟み、甲を脱いで高紐に掛け、腰を屈めて院宣をお受けしようとした
  1. `すると左史生・中原康定が
  2. `今、院宣を賜ろうとしているのは誰だ、名乗られよ
  3. `と言うと
  4. `兵衛佐頼朝
  5. `
  6. `
  7. `の字に遠慮して
  8. `三浦介
  9. `とは名乗らず、本名の
  10. `三浦荒次郎義澄
  11. `と名乗った
  1. `院宣を覧箱に入れた
  2. `兵衛佐頼朝殿に奉る
  3. `少しして、覧箱が返された
  4. `重かったので、泰定がこれを開いて見ると、砂金が百両入れられていた
  5. `若宮の拝殿において泰定に酒を勧められた
  6. `斎院次官・中原親義が膳を担当する
  7. `五位が一人給仕を務めた
  8. `馬三頭が引かれた
  9. `一頭に鞍を置いた
  10. `二代后・藤原多子の侍であった狩野の工藤一臈資経がこれを引いた
  11. `古い萱屋を設けて、康定をそこへ案内した
  12. `厚綿の衣を二着、小袖十着が長持に入れて用意されていた
  13. `紺藍摺と白布千端が積まれていた
  14. `酒と食事は存分にあり、豪華であった
  1. `翌日、兵衛佐頼朝殿の屋敷へ向かった
  2. `屋敷には内侍と外侍があり、共に十六間の広さがあった
  3. `外侍には家子・郎等が肩を並べ膝を組んで居並んでいた
  4. `内侍には源氏一門が上座に着き、末座には大名・小名が控えていた
  5. `源氏の上座に泰定を迎えられた
  1. `少しして神殿に向かった
  2. `上座には高麗縁の畳を敷き、広廂の間には紫縁の畳を敷いて、泰定を迎えられた
  3. `御簾を高く巻き上げさせて兵衛佐頼朝殿が現れた
  4. `無紋の狩衣に立烏帽子という姿であった
  5. `顔は大きいが背は低かった
  6. `容貌は優美であり、言葉は明瞭だった
  7. `まずいきさつを細かく述べた
  1. `そもそも平家は、この頼朝の威勢に恐れて都を落ちた
  2. `その後に木曽冠者義仲と十郎蔵人行家が入り込み、あたかも自分たちの功績であるかのように官位を好き勝手にし、その上、国を選り好みするとはけしからん
  3. `また奥州の藤原秀衡が陸奥守になり、佐竹冠者四郎隆義が常陸守となって、これも我が下知に従わない
  4. `早急に追討すべき院宣をいただきたい
  5. `との由を言われた
  1. `泰定は
  2. `すぐここで名簿をさしあげたいとは思うのですが、今回は使者の身ですので、一旦戻ってすぐに書き記して参りましょう
  3. `弟の史大夫重能もそのように申しております
  1. `頼朝殿は大笑いして
  2. `今この立場で各自の名簿を頂戴するとは思ってもいなかった
  3. `だが、そうしてくださるのなら、お受けしたい
  4. `と言われた
  5. `泰定はすぐ、京へ戻ると話した
  6. `今日くらいはゆっくりなされよ
  7. `と留められた
  1. `翌日、兵衛佐頼朝殿の屋敷へ向かった
  2. `萌黄糸威の腹巻を一着、白く作った太刀を一振、滋籐の弓に野矢を添えて与えられた
  3. `馬十三頭を引かれた
  4. `三頭に鞍を置いた
  5. `十二人の家子・郎等らにも、直垂、小袖、大口袴、武具まで用意されていた
  6. `馬だけでも三百頭ほどいた
  7. `鎌倉を出ての宿場よりも近江国鏡宿に至るまで、宿々に十石ずづの米を用意されると、あまりに沢山だったので施し物に使ったという