三一二八河原合戦
現代語訳
- `義仲軍が敗れると、義経殿は飛脚を遣わし、頼朝殿に合戦の始終を報告した
- `鎌倉殿はまず使者に
- `佐々木高綱はどうした
- `と尋ねられると
- `宇治川の先陣におります
- `と答えた
- `日記を開いて見られると
- `宇治川の先陣・佐々木四郎高綱、二陣・梶原源太景季
- `と書かれてあった
- `宇治と勢田が敗れたと聞いて、義仲殿は最後の別れを告げようと、院御所六条殿へ馳せ参じた
- `御所では、法皇を始め
- `この世の終わりだ
- `と手を握り、神仏に必死にすがっておられた
- `義仲殿は門前まで来たが、さして奏聞すべきこともなくて引き返した
- `六条高倉というところに、初めて見初めた女房がいるので、そこに立ち寄り、最後の名残を惜もうと中へ入ると、しばらく出て来なかった
- `ここに、最近召し抱えられた越後中太家光という者がいた
- `敵が既に河原まで攻め込んでいるというのに、どうしてこんなにのんびりしておられるのですか
- `そのうち犬死なさいますぞ
- `すぐお出になってください
- `と言ったが、それでも出て来ないので
- `ならば、家光はまず先に発って、死出の山にてお待ちしております
- `と、腹を掻き切って死んでしまった
- `義仲殿は
- `これはおれを奮わせるための諫死だ
- `と、すぐに出発した
- `しかし上野国の住人・那波太郎広純を筆頭にその勢は百騎ほどに過ぎない
- `六条河原に来てみると、東国の勢らしく、まず三十騎ほどが現れた
- `その中から武者二騎が前に出た
- `一騎は塩屋五郎維広、一騎は勅使河原五三郎有直である
- `塩屋が言うには
- `後陣の来援を待つべきか
- `また勅使河原が言うには
- `一陣が敗れた、残党は崩れるだろう、ただ攻めろ
- `そう叫んで突撃した
- `義仲殿が背水の陣で戦うと、東国の軍勢は、彼を取り囲み
- `我こそ討ち取ってやる
- `と迫った
- `大将軍・九郎御曹司義経は
- `戦は兵士たちに任せ、自分は心細い院の御所を守ろう
- `と、直甲を纏い、五六騎で院の御所・六条殿へ馳せ参じた
- `御所では、大膳大夫業忠が御所の東の築垣の上に登って恐る恐る見渡すと、武士が五六騎、春風に鎧の左袖をなびかせて、白旗さっと差し上げ、黒煙を蹴立ててこちらに向かってきた
- `業忠は
- `なんということだ、また木曽がやって来た
- `と言うと、院の中は大騒ぎになった
- `成忠は重ねて
- `今日初めて都へ入る東国武士のようです
- `どうもみな笠印が違います
- `と言い終わらぬ間に、大将軍九郎御曹司義経が門前で馬から下り、門を叩かせ、大声を張り上げて
- `鎌倉の前兵衛佐頼朝が舎弟・九郎義経、この御所をお守りするために参上しました
- `お開けください
- `と言うと、業忠はあまりの嬉しさに、慌てて築垣の上よりから飛び降りて腰を打ってしまったが、嬉しさに紛れて痛みも感じず、ほうほうのていで御所に戻りその旨を奏聞すると、法皇はたいへん感動され門を開けさせて中へ入れられた
- `義経は、その日は赤地錦の直垂に紫裾濃の鎧を着、鍬形の飾りをつけた兜の緒を締め、黄金作りの太刀を佩き、二十四筋差した切斑の矢を背負い、滋籐の弓の鳥打に幅一寸ほどに切った紙を左巻きに巻き付けた
- `これこそ今日における大将軍の目印のように見えた
- `法皇は中門の連子より叡覧し
- `すごい者たちだ、全員名乗らせよ
- `と仰せになると
- `まず大将軍九郎義経
- `次に安田三郎義定
- `畠山庄司次郎重忠
- `梶原源太景季
- `佐々木四郎高綱
- `渋谷右馬允重資
- `と名乗った
- `義経率いる武士は六人、鎧はいろいろであったが、人相風体の甲乙つけがたく、業忠が仰せを受け、義経を広廂の間へ呼び、合戦の次第を詳しく尋ねられた
- `義経はかしこまって
- `鎌倉の前右兵衛佐頼朝は、木曽義仲の狼藉鎮圧のため、兄・範頼とこの義経を先鋒として総勢六万余騎を差し向けましたが、範頼は勢田から上洛するはずが、まだ姿が見えません
- `私は宇治の軍を撃破し、この御所を警護するために馳せ参じました
- `木曽義仲は賀茂の河原を上流へ落ち延びて行きましたが、軍兵に追わせたので、今頃はきっと討ち取っておりましょう
- `と事もなげに言った
- `法皇はたいへん感動され
- `また木曽の残党がやって来て狼藉をはたらくかもしれない
- `そちはくれぐれもこの御所を守れ
- `と仰せられたので、かしこまって承り、四方の門を固めて待機していると、兵たちが馳せ集まり、ほどなく一万騎ほどになった
- `義仲殿は、万が一の事があれば法皇を誘拐して西国へ連れ去り、平家と連合しようと、力者法師を二十人揃えていたが、御所は九郎義経が厳しく警護していると聞き、敵わないと思ったか、賀茂の河原を上流へ落ち延びる際、大勢の敵の中へ突入して討たれそうになることが幾度かあった
- `そして、駆け破り駆け破り通過した
- `義仲殿は涙を流して
- `こんなことになると知っていれば、兼平を勢田などへはやらなかった
- `幼少の頃から死ぬときは一緒に死のうと約束したのに
- `別々に討たれることが悲しい
- `もう一度、兼平の安否を確かめよう
- `と、賀茂の河原を上流へ向かうと、六条河原と三条河原との間で敵が襲いかかってきたので、退け退け、義仲殿はわずかな手勢で雲霞のごとき数多の敵勢を五六度まで退けて、賀茂川をざっと渡り、粟田口、松坂に差しかかった
- `去年信濃を出たときは五万余騎とのことだったが、今日四宮河原を過ぎるときには主従七騎になっていた
- `まして四十九日の冥土の旅の空が思いやられて哀れであった