一一一三六二度駆
現代語訳
- `さて、成田五郎助忠もやって来た
- `土肥次郎実平七千余騎が色とりどりの旗を差し上げ、わめき叫んで攻め戦った
- `正面の生田森も源氏が五万余騎で固めていたが、その勢の中に武蔵国の住人・河原太郎高直、河原次郎盛直という兄弟がいた
- `太郎高直は弟・次郎盛直を呼んで
- `大名は自ら手を下さなくても、家来の手柄が名誉になる
- `我らは自ら手を下さなくては何も得られない
- `敵を前にしながら、矢の一筋も放たずに待っているのはじれったいから、おれは城郭の内に侵入して一矢射ようと思う
- `おまえはここに残って後の証人になってくれ
- `と言うと、弟の盛直は涙をほろほろ流して
- `なんと残念なことを言われるのか
- `兄弟たった二人しかいないのに、兄を討たれて弟が後に残ったら、どれほどの栄華を保っていられよう
- `別々に討たれるよりは、一緒に討ち死にしたい
- `と、下人たちを呼び寄せると、妻子のもとへ最後の様子を伝えさせ、馬には乗らず藁草履を履き、弓を杖にして、生田森の逆茂木を乗り越え、城郭の内へ入っていった
- `星明かりで鎧の色もはっきりしない
- `太郎高直は、大声を張り上げて
- `武蔵国の住人・河原太郎私市高直、同じく次郎盛直、生田森の先陣だ
- `と名乗った
- `城郭の内ではこれを聞き
- `なんとも、東国の武士ほど恐ろしい者はないな
- `この大勢の中へ兄弟二人きりで駆け入って、いったいどれほどのことができるというのか
- `適当にかわいがってやれ
- `と、討とうという者は誰もいなかった
- `河原兄弟は弓の名手であったので、次々に矢をつがえてさんざんに射る
- `もはやこの者どもかわいがっている場合ではない、討て
- `と言うが早いか、西国で強弓の精兵と名高い備中国の住人・真鍋四郎祐久、真鍋五郎祐光という兄弟が出てきた
- `兄の四郎祐久は一の谷に詰めていた
- `五郎祐光は生田森にいたのだが、これを見て、引き絞ってひゅっと射た
- `河原太郎高直は鎧の胸板をすっぽり射貫かれて、弓杖にすがりつきすくんでいるところに弟・次郎盛直が駆け寄り、兄を肩に担いで、生田森の逆茂木を乗り越えようとしたところを、真鍋の二の矢に次郎盛直の鎧の草摺の隙間を射られ、二人とも倒れ込んだ
- `真鍋の下人が駆け寄って、河原兄弟の首を取った
- `大将軍新中納言知盛殿がその首を見られ
- `なんとも勇猛な者だ
- `この者たちこそ一人当千の兵と言うべきだ
- `惜しい命を助けてやれず残念だ
- `と言われた
- `その後、河原の下人が駆け込んできて
- `河原殿のご兄弟がたった今、城郭の内へ一番乗りされ、討たれました
- `と知らせて回ると、梶原平三景時がこれを聞き
- `私の党による不覚で、河原兄弟を討たれてしまった
- `しかし今は好機だ、攻めよう
- `と鬨の声をどっと上げた
- `これを聞いて五万余騎も同じく鬨の声を合わせた
- `景時らは五百余騎であったが、足軽たちに逆茂木を取り除かせ、わめいて駆け回った
- `次男の平次景高は、あまりに逸って先駆けるので、父・平三景時が使者を立て
- `後陣の勢が続かないのに、先駆けるような者には褒賞がないとの大将軍範頼殿の仰せだ
- `と言い送ると、平次景高はしばらく待機していたが
- `もののふの先祖から伝えられた梓弓、引いた以上はもうかえせない
- `と伝えてほしい
- `と言うとわめいて駆けた
- `景時はこれを見て
- `平次を討たすな、者ども
- `景高を討たすな、続け
- `と、父の平三景時、兄の源太景季、同・三郎景家が続いた
- `景時ら五百余騎は大勢の中へ駆け込んで、縦に横に蜘蛛手に十文字にと駆け破り、さっと引き上げたところ、嫡子・源太景季の姿がない
- `景時が郎等たちに
- `景季はどうした
- `と尋ねると
- `あまりに深入りしてお討たれになったのかもしれません
- `先ほどからお姿が見えません
- `と言うと、景時は涙をほろほろ流して
- `軍の先陣を駆けようと思うのも子らのため、景季を討たれて、自分が生きていても意味がない
- `引き返すぞ
- `と、またとって返した
- `その後、景時は鐙を踏ん張って立ち上がり、大声を張り上げて
- `昔、八幡太郎義家殿が後三年の合戦において、出羽国千福の金沢城を攻められたとき、生年十六歳と名乗って先陣を駆け、左の眼を兜の鉢付の板へ射付けられながら、その矢を抜かず、仕返しの矢を射、敵を射落とし、褒美をいただいて名を後世に残した鎌倉権五郎景正の末裔・梶原平三景時、一人当千の兵である
- `我こそはと思う者はかかってこい、相手をしてやる
- `とわめいて駆けた
- `大将軍新中納言知盛殿は
- `今名乗りを上げた者は東国で名高い武者だ
- `逃がすな、洩らすな、討ち取れ
- `と景時を取り囲むと、我こそはと皆近づいた
- `景時はまず我が身の危険はさておき、景季はどこにいるかと、駆け破りながら探し回ると、案の定、景季は馬も射られ、徒歩立ちになり、兜も打ち落とされ、大わらわになって戦っており、二丈ほどある岸を背にして、郎等二人を左右に立て、甲冑を脱いで、敵五人に取り囲まれ、わき目も振らず、命も惜しまず、ここが瀬戸際と攻め戦っていた
- `景時はこれを見て
- `景季はまだ討たれていなかった
- `と嬉しく思い、急いで馬から飛び下り
- `さあ源太、父が来たぞ、同じ死んでも敵に後ろを見せるな
- `と父子して五人の敵を三人討ち取り、二人を負傷させ
- `武人は駆けるも退くも時と場合による
- `さあ行くぞ、源太
- `と馬に乗せて出て行った
- `梶原景時の二度の駆けとはこのことである