一五一四〇重衡虜
現代語訳
- `本三位中将重衡殿は生田森の副将軍で、その日の装束には、深藍に鮮やかな黄色の糸で岩と群千鳥を刺繍した直垂に紫裾濃の鎧を着、童子鹿毛という評判の名馬に乗られていた
- `乳母子の後藤兵衛盛長は、滋目結の直垂に緋威の鎧を着、三位中将重衡殿の大切にされていた夜目無月毛に乗られていた
- `主従二騎が助け舟に乗るべく細道をたどって落ちようとされるところへ、庄四郎高家と梶原源太景季が、いい敵を見つけたと、鞭を振るい鐙を蹴って追いかけた
- `渚には助け舟が何艘もあったが、後ろから敵が追いかけてくるので、乗っている暇もなったため、湊川、苅藻川をも越え、蓮池を右に見て駒林を左に見て、板宿、須磨も通り過ぎ、西を目指して落ち延びられた
- `三位中将重衡殿は童子鹿毛という評判の名馬に乗られていたので、疲れ果てた馬ではたやすく追いつけるとも思えず、梶原は、もしかしたらと弓を引き絞って遠矢をひゅっと放った
- `三位中将重衡殿の馬が尻骨あたりを深々と射られて弱ったところに、乳母子・後藤兵衛盛長が
- `自分の馬を取られてしまうかもしれない
- `と思ってか、鞭を打って逃げてしまった
- `三位中将重衡殿は
- `なんと盛長、おれを捨ててどこへ行くのか
- `長い間そのようなことをする約束はしていなかったはずだ
- `と言われたが、聞こえないふりで、鎧につけた赤い印をかなぐり捨てて、一目散に逃げてしまった
- `三位中将重衡殿は、馬が弱ってしまったので、海へざっと乗り込んだが、そこは遠浅で沈みようがないので、急いで馬から飛び下り、上帯を切り、高紐を外し、まさに腹を切ろうというところへ、庄四郎高家が鞭を振るい鐙を蹴って駆けつけ、急いで馬から飛び下り
- `それはなりません
- `どこまでも私がお供します
- `と自分の乗った馬に担ぎ乗せ、鞍の前輪に縛りつけ、自分は乗り替え馬に乗って帰った
- `乳母子の盛長は、その場をやすやすと逃げ延びると、後は熊野の法師である尾中法橋を頼ってそこにおり、法橋が死んで後、後家の尼公が訴訟のために上洛するとき、お供をして上ったが、三位中将重衡殿の乳母子だったので、京では多くの人に知られていた
- `ああ憎い、後藤兵衛盛長は重衡殿にあんなにかわいがってもらっていたのに、運命を共にするでもなく、自分ひとり逃げてしまい、どこの馬の骨とも知れない後家尼の供をして都に来た
- `と、皆軽蔑をした
- `盛長もさすがに恥ずかしく思ったか、扇を顔にかざしていたと聞いた