一三一五七三日平氏
現代語訳
- `舎人・武里も続いて海に入ろうとするのを、時頼入道は引き留め、泣く泣く
- `これだから下郎は困る
- `どうして遺言に逆らうようなことをするのだ
- `今はなんとしても生き長らえて、殿の菩提を弔ってさしあげるのだ
- `と言ったとき
- `どこまでもお供できず、先立たれてしまった悲しさに、後の供養のことまで考えられません
- `と、舟底に倒れ臥し、わめき叫ぶありさまは、昔、悉達太子が檀特山にお入りになったとき、舎匿という下人が犍陟という白馬を賜って王宮に帰ったときの悲しみも、これほどではあるまいと見えた
- `もしかしたら浮き上がるかもしれないとしばらくの間は舟を回し漂わせて探したが、三人共に深く沈んで見あたらない
- `夕陽が西に傾き、海上も暗くなったので、名残は尽きなかったが、そうしてばかりもいられないので、空しい舟を漕いで帰った
- `瀬戸を渡る舟の櫂から落ちる雫か、時頼入道の袖から伝う涙か、見分けがつかない
- `時頼入道は高野山へ帰り、武里は泣く泣く屋島へ向かった
- `維盛殿の弟・新三位中将資盛殿に手紙を取り出して渡した
- `これを見られて
- `ああ、つらい
- `私が頼りにしていたほど、彼は私を思ってくださらなかったのだ
- `どうして共に行き、共に入水することなく、離ればなれで別れるようなことになったのか、それが悲しい
- `宗盛殿も八条二位殿も、兄が叔父・頼盛殿同様、頼朝に心を通わせているから都におられるのだろうと、我らにも用心されていたが、那智の沖に身を投げられたのか
- `なにか言葉で伝えられたことはないか
- `と言われると
- `言葉で伝えよ
- `と仰せられましたのは
- `既にご存じのように、世間はつらいことやどうにもならないことが増えてきたようですので、誰にもお知らせすることもなく出家をしました、同時に、西国では左中将清経殿が亡くなりました
- `一の谷では備中守師盛殿が討たれました
- `この維盛もこのようになり、とても心細く思われているだろうと、そのことばかり心苦しく感じております
- `と、鎧・唐皮や太刀・小烏のことなどまでもこまごまと離すと、資盛殿は
- `もう私も生き長らえられる気がしない
- `と袖を顔に押し当てて、さめざめと泣かれた
- `亡き兄・維盛殿にとてもよく似ておられたので、これを見る侍たちも集まって袖を濡らした
- `宗盛殿も八条二位殿も
- `維盛は頼盛のように頼朝に心を通わせて都にいるのではないかと思っていたが、そうではなかったのか
- `といまさらまた嘆き悲しまれた
- `四月一日、都では改元があり、元暦と号した
- `その日除目が行われ、鎌倉前兵衛佐頼朝は正下四位に昇進した
- `以前は従下五位であられたが、一気に五階級を飛び越えられたのはめでたいことであった
- `同・三日、故・崇徳上皇を神と崇め、その怨念を鎮めるべく、昔合戦が行われた大炊御門のはずれ、春日河原に社殿を建て宮を遷した
- `これは後白河法皇の指示で、内裏の後鳥羽天皇はご存じなかったという
- `五月四日、池大納言頼盛殿が関東へ下り、頼朝殿が使者を立て
- `急いでお越しください
- `亡き尼御前にお逢いする気持ちでお目にかかりたい
- `と伝えられると、頼盛殿はすぐに出立した
- `ここに弥平兵衛・平宗清という侍がいた
- `親子代々仕えてきた者だが、供をさせようとしても行こうとしない
- `どうした
- `と聞かれると
- `殿はこのように都におられますが、一門の公達は今も西海の波の上に漂われているのが心苦しく、安心できないのです
- `気持ちが少し落ち着きましたら、後を追って向かいます
- `と答えた
- `頼盛殿は恥ずかしく、きまり悪く思われて
- `たしかに一門と別れて都に残ったのは我ながら決してよいとは思わないが、それでも命も惜しく身も捨て難いので、留まったのだ
- `遥かの関東への旅に赴くのに、どうして見送らないのだ
- `行かないというなら、都に残ったとき、どうしてそう言わなかったのか
- `大事も小事もすべておまえに話したはずだぞ
- `と言われると、宗清は居直り、かしこまって
- `身分の上下にかかわらず、命ほど惜しいものはありません
- `ですから
- `世は捨てても命は捨てない
- `と昔からいわれています
- `都に留まられたことをよくないというのではありません
- `頼朝もつまらない命を助けられたからこそ、今日あのような幸運に恵まれたのです
- `流罪にされたとき、亡き尼御前の仰せで、近江国篠原宿まで送ったことも、いまだ忘れていないとのことなので、お供して下れば、きっと引出物や饗応などを受けられるでしょう
- `とはいえ、西海の波の上に漂われている一門の公達たちや仲間に、このことを聞かれたら、恥ずかしく思うのです
- `遥か鎌倉までの旅に赴かれるにあたって不安もございましょうが、敵を攻めるために下られるのであれば、先鋒を務めさせていただきますが、今回はお供をしなくても少しも不安はございますまい
- `頼朝殿から尋ねられたときには、ちょうど体調が悪かったとお答えてください
- `と涙をこらえて留った
- `これを聞く侍たちもも皆涙を流した
- `頼盛殿は苦々しくきまり悪く思われたが、いまさら下らないわけにもいくまいと、すぐに発たれた
- `同・二十三日、池大納言頼盛殿は、関東へ到着、頼朝殿は対面すると、まず
- `宗清はお供で来ていますか
- `と問われたので
- `ちょうど体調を崩してまして
- `と言うと
- `何を患っているのですか
- `なにか事情があるのでしょう
- `先年、あの宗清のもとに預けられていたとき、なにかにつけて親切にしてもらったので、一緒に訪ねていただきたかった
- `早くお逢いしたいと思っていただけに、来られなかったのが残念です
- `と、たくさんの公文書を支度し、さまざまな引出物を贈ろうと用意されていたが、下らなかったので、皆がっかりしてしまった
- `六月九日、池大納言頼盛殿は都へ戻られることになった
- `頼朝殿は
- `もうしばらくここに留まられてはいかがですか
- `と言われたが、頼盛殿は
- `都で心配しているだろうから
- `とすぐに発たれた
- `与えられた荘園や私領について一点の間違いもなく、また、元の大納言に復職できるよう後白河法皇へ申し入れられた
- `鞍置き馬三十頭、裸馬三十頭、長持三十枝、羽、金、巻絹、染物、風情の物などを引き出物とした
- `頼朝殿がこのようにされたので、東国の大名や小名も、我も我もと引出物を贈られた
- `荷積みの馬だけで三百頭にもなった
- `池大納言頼盛殿は命を長らえただけでなく、いろいろ富貴になって都へ帰られた
- `同・十八日、肥後守・藤原定能の伯父・平田入道定次を先鋒として、伊賀・伊勢両国の官兵たちが近江国へ攻め込んできた
- `源氏に縁のある者たちが発向して合戦となった
- `同・二十日、伊賀・伊勢両国の官兵たちは持ちこたえられず攻め落とされた
- `平家に代々仕えている家臣で、昔の恩を忘れないのは殊勝だが、源氏と合戦するとは身の程知らずである
- `三日平氏とはこのことである