八一六七壇浦合戦
現代語訳
- `元歴二年三月二十四日卯の刻、豊前国田の浦、門司の関、赤間が関で源平は矢合せすると決まった
- `その日、義経殿と梶原景時とが内部抗争に発展しかけていた
- `梶原景時が進み出て
- `今日の先陣は景時にお任せを
- `義経殿
- `おれがいなければだめだ
- `景時
- `それはまずい
- `殿は大将軍でいらっしゃる
- `義経殿
- `おかしなことを言う
- `頼朝殿こそ大将軍だ
- `おれはただ軍の奉行を承った身だから、貴殿たちと同じ立場だ
- `と言われた
- `景時は先陣を希望しかねて
- `生まれつきこの殿は武人の主には向いていない
- `と呟いた
- `義経殿は
- `日本一の馬鹿野郎め
- `と太刀の柄に手をかけられると、景時は
- `頼朝殿の他に主君はいない
- `とこれも太刀の柄に手をかけた
- `気色ばんだ父を見て、嫡子・源太景季、次男・平次景高、同・三郎景家、父子主従十・四五人が、太刀の鞘を外し、景時と一緒になって迫った
- `義経殿様子を見て、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤四郎兵衛忠信、源八広綱、江田源三弘基、熊井太郎忠基、武蔵坊弁慶といった一人当千の兵たちが、梶原を取り囲んで、我が討ち取ると迫った
- `しかし義経殿には三浦介義澄がすがりつき、景時には土肥次郎実平がすがりついて両人が手をこすり
- `これほどの一大事を前にしながら同士討ちなどしていては、平家に勢いづかせてしまいます
- `それに、こんなことを頼朝殿のお耳にでも入ったら無事では済まされません
- `と言うと、義経殿は落ち着かれた
- `景時も手を出せない
- `そのことがあってから景時は、義経殿を憎むようになり、ついには告げ口して亡き者にしたと言われた
- `さて、源平が陣を合わせた
- `陣の間合いは海上わずか二十余町であった
- `門司、赤間、壇の浦は、潮のたぎる箇所なので、源氏の舟は潮に押し戻される
- `平家の舟は潮に乗って迫ってきた
- `梶原景時は、沖は潮の流れが速いので波打ち際に寄り、すれ違う敵の舟に熊手を掛け、引き寄せて乗り移ると、父子主従十四・五人は太刀の鞘を外して、舟の上を薙いで駆け回り、たくさん分捕って、その日の功名は一等と記録された