四一八九六道
現代語訳
- `世捨て人の常ですから、なんの差し支えもありません
- `早くお会いして、お帰りいただきましょう
- `と言うと、建礼門院殿は庵に入られた
- `一度念仏を唱えては、窓に阿弥陀如来の来迎の光が差すのを期待し、十度念仏を唱えては粗末な庵に聖衆の来迎を待っているのに、思いがけないご訪問があるとは不思議です
- `言ってお会いになった
- `法皇がこの様子をご覧になり
- ``悲想天で八万劫の寿命があっても、なお死に行く愁いに遭う
- ``欲界の天上でも、まだ五衰の悲しみを免れることはできない
- `須弥山頂上の善見城での長寿も楽しみも、中間禅の高台の宮殿や、また夢の中での果報、幻の中の楽みに過ぎず、既に果てしない流転の中にある
- `車輪の回るがごとしである
- `天人がもつ五衰の悲しみは、人間界にもありました
- `それにしても誰か訪ねてくる人はおられないのですか
- `何事につけても、昔のことを思い出されるでしょう
- `と仰せになると、建礼門院殿は
- `どこからも訪ねてくる人はありません
- `藤原信隆殿、藤原隆房殿の北の方から、とぎれとぎれに便りがあります
- `その昔、あの人たちの世話になるとはつゆ思いもしませんでした
- `と涙を流されると、付き添いの女房たちも皆袖を濡らされた
- `少しして、建礼門院が涙をこらえて
- `今このような身になりましたのは、一時の嘆きであることは言うまでもありませんが、後生の菩提のためには、喜びであると思えます
- `すぐに釈尊の弟子の一人となり、おそれ多くも阿弥陀の本願に乗じて、女人の持つ五つの障害と三つの服従の苦しみを逃れ、昼・夜三時ずつ、六つの迷いのもとを清めて、ひとすじに浄土への往生を願い、ひたすら平家一門の菩提を祈り、日々聖衆の来迎を待っています
- `いつの世にも忘れられないのは先の安徳天皇の面影、忘れようとしても忘れられず、こらえようとしてもこらえきれないのです
- `ただ恩愛の道ほど悲しいものはありません
- `ですから、その菩提のために朝夕の勤行を怠ることはないのです
- `これもしかるべき仏道への道だと思っております
- `と言われると、法皇は
- `我が国は小さな辺境の地であるが、ありがたくも前世で行った十善の功徳によって、天子となり、身分相応に、思うままにならないものはありませんでした
- `とりわけ仏法が流布した世に生まれ、仏道修行の志があれば、後世はよいところに生まれ変われることは疑いありません
- `しかし、人の性の常、いまさら驚くことではないが、その様子を拝見するに、やむを得ないように思われます
- `と涙をお止めになれなかった
- `建礼門院殿は重ねて
- `私は平相国清盛の娘として先の安徳天皇の母となり、天下は思いのままでした
- `新年の行事が催される春の初めから、色とりどりの衣替え、仏名会の催される年の暮れ、摂政をはじめ、大臣や公卿にもてなされたときの様子は六欲天・四禅天の雲の上で八万の諸天に囲まれかしずかれているようで、文武百官に私を仰がない者はおりませんでした
- `清涼殿・紫宸殿の床の上、玉の簾の内で大切にされ、春は南殿の桜を愛でて日を暮らし、九夏三伏の極暑の日には泉をすくって心を慰み、秋は雲の上の月を独り見ることを許されず、白雪降る玄冬の寒夜は衣を重ねて温まったのです
- `不老長寿の術の会得を願い、蓬莱の不死の薬を探して、ただ命を延ばすことばかり考えていました
- `明けても暮れても楽しみ栄えていた頃は、天上の果報もこれには敵うまいと思っていました
- `ところが、寿永の秋の初め、木曽義仲とかいう者に恐れをなして、平家一門の人々は住み慣れた都を雲の彼方に見遣って、故郷を焼野原にして眺め、昔は名前だけしか知らなかった須磨から明石へ浦を伝い、なんとも哀れに思われて、昼は大海原の波を分けて袖を濡らし、夜は洲崎の千鳥と共に泣き明かしました
- `浦々島々、由緒あるところを見ましたが、故郷のことは忘れられません
- `そして頼れる人もなくなって、天人の五衰・生者必滅の悲しみと思ったのです
- `人の、愛する者と離別する苦しみ、怨み憎む者に会わねばならない苦しみ、共に思い知らされたのです
- `四苦八苦ひとつとして残すものはありませんでした
- `さらに、緒方維義とかいう者によって九州の内からも追い出され、山野は広いといえども立ち寄り宿るべき場所もありませんでした
- `同じ秋の暮れにもなると、昔は宮中で眺めていた月を、遠くの波の上で眺めつつ、明かし暮らしておりますと、神無月の頃、左中将清経が都を源氏によって攻め落とされ、九州を緒方維義によって追い出されました
- `網に掛かった魚のようだ
- `どこへ行ったら逃れられるというのだろうか
- `生き長らえて天寿を全うする身ではない
- `と、海に沈んだのがつらい出来事の始まりだったのです
- `波の上で日を暮らし、船の内で夜を明かしました
- `献上品もなければ、帝の御食事もままなりません
- `たまに御食事を用意しようとしても、水がないので作れません
- `大海原に浮かんではいますが、塩水なので飲むこともできません
- `これまた餓鬼道の苦しみのようだと思いました
- `室山、水島、所々合戦に勝利すると、一門の人々も少し元気になったように見えましたが、一の谷とかいうところで一門の人々の半数以上が討たれ、主立った侍たちが数多く滅んだので、それぞれは直衣や束帯の代わりに甲冑を身にまとい、明けても暮れても合戦の雄叫びの絶えることなく、修羅の闘諍や帝釈の争いも、これほどではあるまいと思ったものです
- `一の谷を攻め落されて後、親は子に先立たれ、妻は夫と死別しました
- `沖の釣り舟を見ては敵の舟かと肝を潰し、遠い松に群れる鷺を見ては源氏の旗かと震え上がりました
- `そして壇の浦とかいうところで合戦は終わりを迎えるように見え、八条二位の尼は
- `男が生き残ることは万にひとつもないでしょう
- `たとえ遠い縁者が生き残ったとしても、我らの後世を弔うこともないでしょう
- `昔から女は殺さないのが戦の習いですから、なんとしても生き長らえて主上の菩提を弔い、我らの後世もお助けください
- `と言ったのを、まるで夢のように聞いていましたが、風が急に激しくなり、浮雲が厚くたなびき、兵たちは心を惑わし、武運が尽きて、人の力ではどうにもならなくなりました
- `もはやこれまでと思ったとき、八条二位の尼が、先の安徳天皇をお抱きになって舟端へ出られると、帝は訝しげなご様子で
- `尼御前、朕をどこへ連れて行こうとするのだ
- `と仰せられると、二位の尼は涙をほろほろ流して、幼い帝に向かい
- `君はまだご存じないかもしれませんが、前世で行った十善・戒行の力によって、今、天子としてお生まれになりましたが、悪縁に引かれてそのご運は尽きてしまわれました
- `まず東にお向かいになって伊勢大神宮伏し拝まれ、その後、西にお向かいになって西方浄土からのお迎えに預かろうとお誓いになり、念仏をお唱えください
- `この国は憂えの多いところですから、極楽浄土という素晴らしいところへお連れするのです
- `と泣く泣くあれこれお口説かれると、山鳩色の衣に鬢を結われて、涙をいっぱい溜められ、小さく美しい両手を合わせ、まず東にお向きになって伊勢大神宮にお暇を申し上げ、その後、西をお向きになり、念仏を唱えられ、八条二位の尼が先帝をお抱きになって海に沈んだ様子は、目も眩み、正気も失い、忘れようとしても忘れられず、こらえようとしてもこらえきれませんでした
- `残り留まった人々のわめき叫ぶありさまは、叫喚・大叫喚に落ちた炎の底の罪人でもほどではあるまいと思えるほどでした