物狂
原文
- `この道の第一のおもしろづくの芸能なり
- `物狂の品々多ければこの一道に得たらん達者は十方へわたるべし
- `くり返しくり返し公案のいるべき嗜みなり
- `仮令憑物の品々 神 仏 生霊 死霊の咎めなどはその憑物の体を学べばやすくたよりあるべし
- `親にわかれ子をたづね夫にすてられ妻におくるるかやうの思ひに狂乱する物狂一大事なり
- `よきほどの仕手も心に分けずしてただ一ぺんに狂ひはたらくほどに見る人の感もなし
- `思ひ故の物狂をばいかにも物思ふ気色を本意にあてて狂ふ所を花にあてて心を入れて狂へば感もおもしろき見所もさだめてあるべし
- `かやうなる手柄にて人を泣かするところあらば無上の上手と知るべし
- `これを心底によくよく思ひ分くべし
- `凡そ物狂のいでたち似合ひたるやうにいでたつべきこと是非なし
- `さりながらとても物狂に事よせて時によりてなにとも花やかにいでたつべし
- `時の花をかざしにすべし
- `またいふ
- `物まねなれども心得べき事あり
- `物狂は憑物の本意を狂ふといへども女物狂などに或は修羅 闘諍 鬼神などの憑く事 これなによりもわるきことなり
- `憑物の本意をせんとて女姿にて怒りぬれば見所にあはず
- `女かかり本意にすれば憑物の道理なし
- `また男物狂に女などの寄らんこともこれ同じ了簡なるべし
- `所詮これ体なる能をばせぬが秘事なり
- `能つくる人の了簡なき故なり
- `さりながらこの道に長じたらん書手のさやうにあはぬ事をさのみに書くことはあるまじ
- `この公案をもつこと秘事なり
- `また直面の物狂能をきはめてならでは十分にはあるまじきなり
- `貌気色をそれになさねば物狂に似ず得たる所なくて貌気色を変ゆれば見られぬ所あり
- `物まねの奥義とも申しつべし
- `大事の申楽などには初心の人斟酌すべし
- `直面の一大事物狂の一大事二色を一心になしておもしろき所を花にあてんこといかほどの大事ぞや
- `よくよく稽古あるべし