四
原文
- `秘義にいふ
- `抑芸能とは諸人の心をやはらげて上下の感をなさんこと寿福増長の基遐齢延年の法なるべし
- `きはめきはめては諸道悉くに寿福増長ならん
- `となり
- `殊更この芸位をきはめて佳名を残すことこれ天下のゆるされなり
- `これ寿福増長なり
- `然れども殊に故実あり
- `上根上智の眼に見ゆるところ長位のきはまりたる仕手におきては相応至極なれば是非なし
- `凡そおろかなる輩遠国田舎の賤しき眼にはこの長位のあがれる風体及びがたし
- `これを如何にすべき
- `この芸とは衆人愛敬をもて一座建立の寿福とせり
- `故にあまり及ばぬ風体のみなればまた諸人の褒美欠けたり
- `この為能に初心を忘れずして時に応じ所によりておろかなる眼にも
- `げにも
- `と思ふやうに能をせむことこれ寿福なり
- `よくよくこの風俗をきはめ見るに貴所 宮寺 田舎 遠国 諸社の祭礼にいたるまでおしなべてそしりを得ざらんを
- `寿福達人の仕手
- `とは申すべきか
- `さればいかなる上手なりとも衆人愛敬欠けたる所あらんをば
- `寿福増長の仕手
- `とは申しがたし
- `しかるに亡父はいかなる田舎山里の片辺にてもその心を受けて所の風儀を一大事にかけて芸をせしなり
- `かやうに申せばとて初心の人
- `それほどはなにとて左右なくきはむべき
- `と退屈の儀はあるべからず
- `この条々を心底にあててその理をちちと取りて了簡をもて我分力にひきあはせて工夫を致すべし
- `凡そいまの条々工夫は初心の人よりはなほ上手におきての故実工夫なり
- `たまたま得たる上手になりたる仕手も身をたのみ名にばかされてこの故実なくていたづらに名望よりは寿福に欠けたる人多き故にこれをなげくなり
- `得たる所あれども工夫なくてはかなはず
- `得て工夫あらんは花に種をそへたらんがごとし
- `たとひ天下にゆるされを得たるほどの仕手も力なき因果にて万一少し廃るる時分ありとも田舎遠国の褒美の花失せずばふつと道の絶ゆることはあるべからず
- `道絶えずはまた天下の時にあふことあるべし