五
現代語訳
- `問
- `能において、得手得手といって、ひどく劣った仕手もある方面だけは上手に勝るところがある
- `これを上手がやらないのは敵わないからか
- `それとも、やるまじき事だからやらないのか
- `答
- `一切の事に得手といって生来得意とするところがあるものである
- `位は勝っていてもこれはかなわぬことがある
- `しかし、これも一廉の上手を想定した場合である
- `真に能と工夫をきわめた上手はいずれの方面でもこなせよう
- `かなわぬのは、能と工夫とをきわめた仕手が万人の中に一人もいないからである
- `いないのは、工夫はなくて慢心のあるが故である
- `ここ史記の淮陰侯列伝の中に
- `聖人の一失(智者も千慮に必ず一失有り)
- `愚人の一得(愚者も千慮に必ず一得有り)
- `という一節がある
- `上手にも悪いところはあり、下手にもよいところは必ずあるものである
- `これを見出す人もない
- `当人も知らない
- `上手は名望を恃み達者であることに隠されて悪いところを知らない
- `下手は工夫をせぬから悪いところも知らぬため、よいところが稀にあったところでそれがわからない
- `よって、上手も、下手も、お互い他人に尋ねるべきである
- `しかし、能と工夫をきわめた者ならば自ら感悟してこれを知るであろう
- `いかにおかしな仕手であろうとも、よいところがあると見たら上手もこれを学ぶがよい
- `これが第一の手立である
- `もしよいところを見ても
- `自分より下手の真似などするものか
- `と思う諍識があったならば、その心に繋縛されて己の悪いところなどさぞや知りようがあるまい
- `これがすなわち、きわめぬ心であろう
- `また、下手も、上手の悪いところをもし見つけたならば
- `上手でさえ悪いところがある
- `ましてや自分は初心者なのだから、それこそ悪いところが多いだろう
- `と思ってこれを用心し、人にも尋ね、工夫をすれば、ますます稽古になって能は早く上達しよう
- `もし、そうではなく
- `自分ならあんなまずいことなど決してやらないのに
- `という慢心があるならば、それは己の長所すら真には知らぬ仕手であろう
- `よいところを知らねば悪いところもよいと思うものである
- `ゆえに、年はとっても能は上達せぬのである
- `これすなわち下手の心である
- `むろん、上手であっても増上慢があったならばまずかろう
- `ましてや、かなわぬ故の諍識など述べるにも及ばない
- `入念に公案して、思量せよ
- `上手は下手の手本、下手は上手の手本である
- `と心得て工夫せよ
- `下手のよいところを取って上手の芸の数に加えることは無上至極の理である
- `人の悪いところを見ることでさえ己が手本である
- `よいところならば尚更である
- `稽古は強くあれ、諍識はなかれ
- `とはこれであろう