四
現代語訳
- `一 平安京においては、村上天皇の御代、昔聖徳太子が書き遺された申楽(猿楽)延年の記を叡覧になり、まず
- `神代や天竺における起源、西域の月氏、震旦、日本に伝わる狂言綺語を以て讃仏転法輪の因縁すなわち仏徳の賛美や煩悩や邪説の打破を護り、魔縁を退け、福祐を招く申楽舞(猿楽舞)を演奏すれば、国家は平穏、人民は静謐、寿命は長遠である
- `と太子の御筆灼に記されていたことにより、村上天皇は
- `申楽(猿楽)を以て天下の御祈祷をすべきである
- `として、当時かの河勝よりこの申楽(猿楽)の芸を継承してきた子孫・秦氏安が六十六番の申楽(猿楽)を紫宸殿において奉じた
- `当時、紀権守という人があり、その人は才智に長けていた
- `これはかの氏安の妹婿である
- `この人も相伴して申楽(猿楽)を執り行った
- `その後、六十六番までは一日では演じ難いということで、その中から選んで
- `稲積の翁 翁面
- `世継の翁 三番申楽(猿楽)
- `父尉
- `この三つを定めた
- `今の代の
- `式三番
- `がこれである
- `すなわち、法身、報身、応身、の三身の如来を象って奉ずるものである
- `式三番の口伝は別紙にあろう
- `秦氏安より光太郎金春当代まで二十九代の遠孫である
- `これが大和国
- `円満井
- `の座である
- `同じく氏安よりの相伝である、聖徳太子の御作の鬼面、春日の御神影、仏舎利、の三つがこの家に伝わっている