二
現代語訳
- `およそこの道は大和国と近江国とでは風体が異なる
- `近江申楽(猿楽)においては、幽玄の境地に重きを置き、物真似を次にして、風合を基本とする
- `大和申楽(猿楽)においては、まず物真似に重きを置き、芸を尽し、その上で幽玄の風体に達しようとする
- `それでも、真の上手はいずれの風体であろうとも漏らす演技など全くない
- `一つの方面の風体ばかりを演ずるのは真に体得していない人のわざであろう
- `そうした中
- `大和申楽(猿楽)の風体は物真似や劇的な筋立を基本として長すなわち品格のある様相あるいは怒れる芸を得意とする
- `と人々も心得ており、嗜みもこれを専らとするが、亡父が名望を博していた当時
- `静が舞の能
- `嵯峨の大念仏の女物狂
- `の物真似など殊に深く会得していた風体であったが故に世の称賛や名望を得たことは万人の知るところである
- `これが幽玄無上の風体である
- `また、田楽の風体は殊に異質であることから、観覧者も
- `申楽(猿楽)の風体と同列に批評はできない
- `と人々は思い慣れていたが、近代、この道の聖とも噂された田楽の座の一つ・本座の一忠という人は殊に芸の数々をこなし、就中鬼神の物真似や忿怒の様相などに演じ漏らす風体などなかったと聞いている
- `ゆえに、亡父は常々一忠のことを
- `我が風体の師である
- `とまさしく語っていた
- `ときに人々は、あるいは諍識、あるいは実力のなさから、一つの方面の風体ばかりを体得し、十体すなわち全ての物真似の風体に亘ってこなす境地も知らずに他の風体を嫌う
- `これは嫌うのではない
- `かなわぬ故の諍識である
- `かなわぬのであるから、一つの風体を体得したという名望を一旦は得たところで存える花はないため、世に認められることもない
- `堪能で世に認められ得るほどの者はいずれの風体をしても面白いに違いない
- `風体や型というのは多種多様であるが、面白いところはそのいずれの中にも存在しよう
- `この
- `面白い
- `と見るのが
- `花
- `であろう
- `これは、大和申楽(猿楽)にも、近江申楽(猿楽)にも、また田楽にも、漏れなく存在する
- `ゆえに、漏らさず演じられる仕手でなくては世に認められることはあるまい
- `また述べておく
- `悉く芸の数々をきわめずとも、例えば、十の内の七・八分をきわめた上手が殊に得意とする風体を一門の御家芸と呼べるまでに型としてきわめ、そこに工夫があればこれまた世の名望を得よう
- `しかし、少しでも足らぬところがあったならば都鄙や身分の上下において観覧者なりの褒貶を受けよう