一
現代語訳
- `この口伝において、花を知ること
- `まず、およそ自然の中に花が咲くのを見て万事花に喩え始めたその理を汲んでもらいたい
- `そもそも花というのは万木千草において四季折々に咲くもので、その時機を得て珍しいが故に賞翫するのである
- `申楽(猿楽)も、人の心が珍しいと感ずるところ、そこが面白味である
- `いずれの花が散らずに残っていようか
- `散るが故に、咲く頃があって、珍しいのである
- `能も安住するところのないことをまず花と知るがよい
- `安住せずして、別の風体に移ろうが故に、珍しいのである
- `ただし、留意すべき事がある
- `珍しいからとて世に存在せぬ風体を演じ出すのではない
- `この花伝で述べてきた条々を悉く稽古し終え、その上で、申楽(猿楽)をする時に芸の数々をそれぞれの用途に従って取り出すのである
- `花というが、万木千草においてどこに四季折々の時を得た花より珍しい花があろう
- `それと同様、習い覚えた芸の品々をきわめて後、折々の世の風潮を心得、時の人々の好みの品に応じてその風体を取り出す
- `これは折々の花の咲くのを見るに等しい
- `花というが、去年咲いた後の種である
- `能も、かつて見た風体であっても、芸の数々をきわめれば、その数が増すほどに一巡する年月の間隔は久しくなる
- `久し振りに見ればまた珍しいものである
- `さらに、人の好みもいろいろにして、音曲、振舞、物真似は時と場所によって変わり、とりどりであるから、いずれの風体も演じ残しては叶うまい
- `つまり、芸の数々をきわめ尽した仕手というのは初春の梅から秋の菊の花の咲き果てるまで四季折々の花の種を持つようなものである
- `いずれの花であろうとも人の希望や時機に応じて取り出せよう
- `芸の数々をきわめねば時によって花を失うこともあろう
- `例えば、春の花の頃が過ぎて夏の草の花を賞翫しようとする時分、春の花の風体ばかりを体得した仕手が夏草の花はなくて過ぎた春の花をまた持ち出してきたら、時の花として見合うであろうか
- `これで知れよう
- `ただ花は、見る人の心に珍しいのが花である
- `まさに
- `風姿花伝 第三 問答条々の花
- `の段に
- `芸の数々をきわめ工夫を尽して後、花の失せぬ境地を知るに至る
- `とあるのはこの口伝のことである
- `また、花とて別に存在するものではない
- `芸を尽し、工夫を得て、珍しいという感覚を心に得る、これが花である
- `花は心
- `種はわざ
- `と書いてあるのもこれである
- `風姿花伝 第二 物学条々の鬼
- `の段に
- `鬼ばかりをよく演ずる者は鬼の面白いところも知らない
- `とも述べた
- `芸を尽し、また珍しく演じ出せば、珍しいところが花となるであろうから、面白かろう
- `他の風体はなくて、鬼ばかりをする上手
- `と観客が思っていたならば、成就したように見えても珍しい印象がない故に、見所に花はない
- `巌に花の咲くが如し
- `と述べたが、鬼を、強く、恐しく、肝を消すくらいに演じねば、およそ鬼の風体は表現されない
- `これが巌である
- `花というのは、他の風体を残さず演じ
- `幽玄至極の上手
- `と人が思い慣れているところへ思いがけず鬼を演ずることによって珍しく見えるところ
- `ここが花である
- `ゆえに、鬼ばかりを演ずる仕手は巌ばかりで花はないのである