四
現代語訳
- `一 能において十体を体得すべきこと
- `十体を体得した仕手は、全ての演目を一巡ずつ幾度行おうとも、その一通りの年月が久しい故に常に珍しかろう
- `十体を体得した人が一体一体に故実・遺風や工夫を凝らすにいたっては、百色にも変化しよう
- `まずは、五年・三年の内に一度ずつでも珍しく演じ替えるようにする斟酌を持つことである
- `これは大いなる安心立命すなわち心の拠となるものである
- `また、一年の内にも四季折々の趣を意識すること
- `また、数日に及ぶ申楽(猿楽)においては、一日の内容は述べるまでもなく、風体の品々に潤色を施すこと
- `このように根本的な事柄から始めて細微な事柄に至るまで弛まず自然に心がけてゆけば、一期花は失せぬはずである
- `また述べておく
- `十体を知るよりは、年々去来の花を忘れぬようにせよ
- `年々去来の花
- `とは、例えば、十体とは物真似の品々である
- `年々去来とは、幼い時期の様相、初心の時分のわざ、手盛りすなわちわざの利く盛り(年盛り の誤か)の振舞、年老いての風体、その時分時分の自然と身に付いた風体、それらを今の芸に一度に持つことをいう
- `ある時は
- `稚児か若衆の能か
- `と見え、ある時は
- `年盛りの仕手か
- `と思われ、またある時は、頗る臈たけて年功を経たように見えて同じ仕手とも見えぬ、そのように能をするのである
- `これがすなわち、幼少の時から老後までの芸を一度に持つ理である
- `ゆえに
- `年々去り来たる花
- `というのである
- `しかしながら、この位に至った仕手など古から今に至るまで見も聞きもしたことがない
- `亡父の若い盛りの能は
- `臈たけた風体を殊に得意としていた
- `など聞き及んでいる
- `四十歳を過ぎた時分からの能は常々この目で見ていたことであるから疑いない
- `自然居士の物真似や高座の上にての振舞を、当時の人々は
- `十六・七歳の人体に見えた
- `などと言ったほどである
- `これはまさしく、人も言い、この目でも見たことで
- `この位に相応した達者か
- `と思ったものである
- `このように、若い時分には未来の年々去来の風体を得、年老いては過去の風体を身に残す仕手など二人と見聞きしたことがない
- `よって、初心の時分からこれまでの芸能の品々を忘れずして、その時々それぞれの用途に従って取り出すようにせよ
- `若くしては年寄の風体を帯し、年老いては年盛りの風体を残す、これが珍しさではあるまいか
- `したがって、芸能の位の上がった時、かつての風体を演じては捨て演じては捨てして忘れては、ただただ花の種を失うばかりであろう
- `その時々にあった花のままで、種がなくては、手折れる花の枝のようなものである
- `種があるならば、年々時々の咲く時節にどうして合わぬことがあろう
- `ただ、くれぐれも初心を忘れてはならない
- `かくて、常の批評においても、若い仕手を
- `もう腕を上げた
- `老練だ
- `など褒め、年老いた仕手を
- `若やいでいる
- `など評するのである
- `これは珍しい理ではあるまいか
- `十体それぞれに潤色を施したならば百色にもなろう
- `その上に年々去来の品々を現在の己の芸に持っていたならば、どれほどの花となろうか