三四 市振

原文

  1. `今日は親しらず子しらず犬もどり駒返しなど北国一の難所をてつかれ侍れば枕引よせてたるに一間隔て面の方に若き女の声二人ときこゆ
  2. `年老たるのこの声もて物語するをきけば越後の国新潟と所の遊女
  3. `伊勢参宮するとて関までのこの送りてあすは古郷にかへすしたためてはかなき言伝などしやる
  4. `白浪のよするに身をはふらかしあまのこの世をあさましう下りて定めなき日々の業因いかにつたなしと物をきくきく寝てあした旅立に我々にむかひて
  5. `行衛しらぬ旅路のうさあまり覚束なう悲しく侍れば見えがくれにも御跡をしたひ
  6. `衣の上の御情大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ
  7. `と泪を
  8. `不便の事には侍れども
  9. `我々は所々にてとどまるおほし
  10. `人のにまかせてべし
  11. `神明の加護かならずなかるべし
  12. `捨てつつさしばらくやまざりけらし
  13. `一家に遊女もねたり萩と月
  14. `曾良にかたればとどめ侍る