現代語訳
- `月の輪の渡し場を越えて、奥州街道第五十四番目の瀬の上という宿に出た
- `藤原秀衡の従者で信夫郡の庄司であった佐藤基治の大鳥城跡は左の山際を一里半ほど行ったところにある
- `飯塚の里の鯖野と聞いて、尋ね尋ね行くと、丸山というところに行きついた
- `これが基治の館跡である
- `麓に大手門の跡があるなど人の教えるままに訪れては涙を落とし、また、傍らの古寺に佐藤一族の石碑が残る、その中でも子・継信と忠信の二人の妻の石碑に悲哀を覚えた
- `女の身ながら、 義経に殉じて死んでいった継信と忠信、息子二人を失い悲しむ老義母・乙和御前を、己がつらさを堪え、甲冑を身に纏い、彼らの雄姿を装って慰めた、その健気な振舞いは、幸若舞の『八島』などになって、世に知られていますぞ
- `と袂を涙で濡らした
- `堕涙の石碑
- `も遠い晋国の羊祜の話ばかりではない
- `寺に入って茶を所望したところ、ここでは義経の太刀や弁慶の笈を所蔵し宝物としているという
- `笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟
- `五月一日の事である