二〇 壺の碑
現代語訳
- `加右衛門くれたその絵図に従って辿り行くと、仙台の岩切から多賀城の市川へ向かう冠川沿いの道の山際に、
- `みちのくの 十符の菅薦 七符には 君を寝させて 我三符に寝ん
- `と古歌に詠まれた、十筋の網目の筵の材料となる菅があった
- `今も毎年、十符の菅薦を作って国守・伊達家に献上しているという
- `壺碑 市川村多賀城に有り
- `壺の碑は高さ六尺余り、横三尺程度か
- `苔を彫ったかのごとくに覆われて、文字は幽かである
- `四方の国境までの距離が刻まれている
- `この多賀城は、神亀元年、按察使鎮守府将軍・大野朝臣東人の築いたものである
- `天平宝字六年、参議の東海・東山節度使並びに同将軍・恵美朝臣獦が建立する
- `十二月一日
- `とある
- `聖武天皇の時代に当たる
- `昔から歌に詠まれてきた名所の多くは語り伝えられているものの、山は崩れ、川は流れて、道は改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代わるので、時移り、代は変じて、その跡は不確かなことばかりになってしまっているが、ここに至り、紛うことなき千年の記憶を今眼前にして、古の人の心を見た
- `これぞ行脚によってもたらされた徳、生きている喜びであり、長い旅の苦労を忘れて涙も落ちんばかりである