二五 平泉
現代語訳
- `十二日、平泉を目指そうと決め、伊勢物語の中で栗原の あねはの松の 人ならば 都のつとに いざと云はましをと詠まれた、奥州街道第八十一番目の金成宿にある姉歯の松、藤原道雅の歌みちのくの をだえの橋や これならん ふみみふまずみ 心惑はすに詠まれた、第七十五番目の古川宿にある緒絶の橋などを人に聞きつつ向かっていたが、人気のない猟師や農夫の使う道で方角を見失い、ついに道に迷って、石巻という港に出た
- `すめろぎの 御代栄えんと あずまなる みちのく山に 黄金花咲く
- `と大伴家持が詠んで帝に歌を奉った金華山が海上に見え、数百の廻船が入江に集い、人家が密集し、竈の煙が立ち続けている
- `思いがけずこんなところにも来てしまった
- `と、宿を借りようとしたが、誰も貸してくれない
- `ようやく貧しい小家で一夜を明かして、明ければまた知らない道を迷い行く
- `藤原行家の歌涙川 浅き瀬ぞなき みちのくの 袖の渡りに 淵はあれどもなどに詠まれた袖の渡り、詠み人知らずの歌みちのくの をぶちの駒も 野飼ふには 荒れこそまされ なつくものかはなどに詠まれた尾駮の牧、源実朝の歌みちのくの 真野の萱原 かりにだに 来ぬ人をのみ 待つが苦しきなどに詠まれた真野の萱腹などを遠くに見ながら、遥かな堤を行く
- `かつての北上川の名残である心細い長沼に沿って、戸伊摩という所で一泊して、平泉に到着した
- `その距離は二十余里ほどであっただろうか
- `奥州藤原氏・清衡・基衡・秀衡・三代の栄耀も一睡のうちに消えて、毛越寺南大門の跡は御所より一里手前からここへ移ってきた
- `秀衡の館・伽羅御所の跡は田や野原となって、彼が平泉の安寧を願い、番いの黄金の鶏を埋めて築いた金鶏山のみが形を残している
- `まず、義経の籠もっていた高館に上ってみれば、北上川は南部より流れ来る大河である
- `衣川は秀衡の三男・忠衡の館である和泉が城の周囲を流れ高館の下で大河に合流する
- `秀衡の次男・泰衡らの館跡は、衣が関を隔てて南部口の守りを固め、蝦夷を防ぐ配置となっているのが見て取れた
- `そして、選りすぐりの義臣たちがこの城に立て籠もったものの、その功名も一時で、草むらとなって消えた
- `国破れて山河在り
- `城春にして草木深し
- `と、杜甫の『春望』の一節を重ね、笠を敷いて腰を下ろし、奥州合戦に滅んでいった藤原氏と義経、それぞれの主に付き従って戦った兵、就中主・義経を看取った後高館に火を放って果てたという十郎権頭兼房らを偲び、時の移るまで涙を落とした
- `夏草や 兵どもが 夢の跡
- `卯の花に 兼房見ゆる 白髪かな
- `曾良
- `かねてより聞き驚いていた中尊寺の二宇の堂が開帳した
- `経堂は文殊菩薩・優填王・善財童子・三像を残し、光堂は藤原三代の棺を納め、阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩・三尊の仏を安置している
- `七宝は散り失せ、珠玉の扉は風に破れ、黄金の柱は霜雪に朽ちて、もはや頽廃し空虚な草むらとなるはずが、四面を新たに囲み、屋根瓦を覆って風雨をしのいでいる
- `しばらく遥か昔を偲べる記念物となっていた
- `五月雨の 降り残してや 光堂