七 山男
原文
- `上郷村の民家の娘、栗を拾ひに山に入りたるまま帰り来らず
- `家の者は死したるならんと思ひ、女のしたる枕を形代として葬式を執行ひ、さて二三年を過ぎたり
- `然るに其村の者猟をして五葉山の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽ひかかりて岩窟のやうになれる所にて、図らず此女に逢ひたり
- `互に打驚き、
- `如何にしてかかる山には居るか
- `と問へば、女の曰く、
- `山に入りて恐ろしき人にさらはれ、こんな所に来たるなり
- `遁げて帰らんと思へど、些の隙も無し
- `とのことなり
- `其人は如何なる人か
- `と問ふに、
- `自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈極めて高く眼の色少し凄しと思はる
- `子供も幾人か生みたれど、
- `我に似ざれば我子には非ず
- `と云ひて食ふにや殺すにや、皆何れへか持ち去りてしまふ也
- `と云ふ
- `まことに我々と同じ人間か
- `と押し返して問へば、
- `衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがへり
- `一市間一に一度か二度、同じやうなる人四五人集り来て、何事か話を為し、やがて何方へか出て行くなり
- `食物など外より持ち来るを見れば町へも出ることならん
- `かく言ふ中にも今にそこへ帰つて来るかも知れず
- `と云ふ故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりと云へり
- `二十年ばかりも以前のことかと思はる